2010年4月30日金曜日

●ホトトギス雑詠選抄〔16〕シクラメン・上

ホトトギス雑詠選抄〔16〕
春の部(四月)シクラメン・上

猫髭 (文・写真)


シクラメンはシクラメンのみかなしけれ 中村汀女 昭和10年

性格が八百屋お七でシクラメン 京極杞陽 昭和14年

「シクラメン」は投句が少なかったこともあるが、この二句のみを虚子は「ホトトギス雑詠」最終選として残した。

汀女の句のオリジナルには「横浜植木会社」という前詞が付いている。小椋桂の昭和50年に一世を風靡した「シクラメンのかほり」(レコード大賞)の歌詞として本歌取りされたような句だが、「シクラメンのみ」という断定によって、蝶が羽を立てたような花が「かなしけれ」という形をしている。つまり、観察を越えて主観を物として詠んでいる。このような主観写生句を「客観写生」を指嗾した虚子が採るとは意外と思われるかも知れない。

杞陽の句はもっと飛んでいる。「~が~で」という説明調で、しかも「八百屋お七」という江戸時代の赤猫(放火)娘が引き合いに出され、「が」「で」の濁音の重ねも騒々しい句のどこが「客観写生」なのか。とはいえ、何とも魅力的で楽しい句ではある。

わたくしは俳句の初山踏の際に、インターネット俳句「きっこのハイヒール」の管理人横山きっこさんから昭和17年の『ホトトギス雑詠選集』(朝日文庫)だけを暗記するほど読めばいい、とアドバイスを受けて、読んでみたら、これが面白く、その続編として編まれた昭和37年の『ホトトギス雑詠選集』(新樹社)も読んで、杞陽のこの句を見た途端、一発で杞陽ファンになった。

と同時に、「客観写生」とか「花鳥諷詠」とかいう虚子のゴタクも、こういう句を一本釣りする虚子の眼力に比べれば「方便」に過ぎないこともわかった。以前にも触れたが、もともと虚子は子規との違いを明らかにするために「主観的写生」を説いていたのが、余りにもひとりよがりの主観句が横行するのに辟易して「客観写生」へ舵を切ったことは『進むべき俳句の道』で断っている。高野素十も「斎藤茂吉に従へば写生に主観も客観もないことになる。僕達も究極はさうなのであるが、その究極への手段として客観写生をしてゐるのである」と「手段」に過ぎないことを周知の上である。茂吉の言うごとく、字義通り「写生とは生を写すものである」。

「ホトトギス」の世界では、この杞陽の句は、汀女の句と並んで「シクラメン」の句と言えば、この2句しか虚子が最終選に残さなかったことから、夙に有名である。しかし、「ホトトギス」以外の世界では、最近までこの句は余り知られていなかった。何故かと言うと、杞陽が句集『くくたち』に入れるのを忘れたからである。したがって、『昭和俳句文学アルバム 京極杞陽の世界』(梅里書房)にも『京極杞陽句集』(ふらんす堂)にも『角川俳句大歳時記』にもこの句は載っていない。この句に照明を当てたのは昭和47年の田沼文雄の「消えた一句」であり(2007-06-03「週俳」復刻転載)、その経緯にも触れた平成10年の櫂未知子の「京極杞陽ノート 喪失という青空」である。田沼文雄の愛着振りも麗しいが、『櫂未知子集』(邑書林)に収録されたこの杞陽論は杞陽論の白眉で、この杞陽論を読まずして杞陽を語る勿れというほど見事である。

今回はシクラメンを取り上げるので、花屋でシクラメンを買って写そうとしたが、シクラメンは年末に出荷される花だと言われて狐に抓まれた。平成8年に寒さに強い「ガーデン・シクラメン」という品種が生まれて、いまやシクラメンは冬を代表する花だそうな。知らなかった。それで谷戸に咲いている著莪の花にした。山田弘子編『京極杞陽句集 六の花』の栞で、小林恭二が杞陽を著莪の花に譬えていたからだ。わたくしには掲出句の杞陽は、育ち過ぎた葉牡丹の茎立の花のように派手派手のおかしな綺麗さに思えるが。

(明日につづく)

【評判録】「MANO」第15号

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2010年4月29日木曜日

■本日は小石川後楽園にて懇親会

本日は小石川後楽園にて創刊3周年記念懇親会

お知らせ

2010年4月27日火曜日

●コモエスタ三鬼16 スターズ・シャイン・ブライト

コモエスタ三鬼 Como estas? Sanki
第16回
スターズ・シャイン・ブライト

さいばら天気


『現代俳句・第3巻』(1940年/河出書房)所収の西東三鬼集「空港」の自序で、三鬼は次のように書いています〔*1〕
新興俳句の旗の下に、私は現代の俳句を作ることを念願してきた。現代といつても、昨日に向く感情もあるし、明日に展く感情もある。私は後者を志向してゐる。/私は俳句の血統をその形式に伝承している。季語は内容する詩を高める場合にのみ登場する。
  未来 > 過去
  定型 > 季語

というわけです。これって、70年を経過した今でも生きているテーマですね。でも、こういう、根源的ではあるけれども二者択一を迫るかのような把握からは、議論の機微は生まれにくい。未来か過去か(革新か保守か)の二分法も実は見た目から判断しづらいところもあるし、定型か季語(季題)かじゃなくてどっちも、といった言い方もそれなりに説得力をもつ。

つまり、こういうことって、語るより作れ、詠めって話でもあるわけで、三鬼が前述のように高らかに宣言したという事実は事実として、実際に残された句を読むことが、私たちが三鬼から受け取る最高のプレゼントなわけです。当たり前だけど。

 棒立ちの銀河ひげざらざら唄ふ  三鬼(1951)

三鬼の声みたいなものは、やはり、句にあざやかに残っているものだろう、と。これもまた当たり前のことなんですけどね。


〔*1〕『西東三鬼全句集』(2001年/沖積舎)所収「凡例」(三橋敏雄)より孫引き。

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