第16回
スターズ・シャイン・ブライト
さいばら天気
『現代俳句・第3巻』(1940年/河出書房)所収の西東三鬼集「空港」の自序で、三鬼は次のように書いています〔*1〕。
新興俳句の旗の下に、私は現代の俳句を作ることを念願してきた。現代といつても、昨日に向く感情もあるし、明日に展く感情もある。私は後者を志向してゐる。/私は俳句の血統をその形式に伝承している。季語は内容する詩を高める場合にのみ登場する。未来 > 過去
定型 > 季語
というわけです。これって、70年を経過した今でも生きているテーマですね。でも、こういう、根源的ではあるけれども二者択一を迫るかのような把握からは、議論の機微は生まれにくい。未来か過去か(革新か保守か)の二分法も実は見た目から判断しづらいところもあるし、定型か季語(季題)かじゃなくてどっちも、といった言い方もそれなりに説得力をもつ。
つまり、こういうことって、語るより作れ、詠めって話でもあるわけで、三鬼が前述のように高らかに宣言したという事実は事実として、実際に残された句を読むことが、私たちが三鬼から受け取る最高のプレゼントなわけです。当たり前だけど。
棒立ちの銀河ひげざらざら唄ふ 三鬼(1951)
三鬼の声みたいなものは、やはり、句にあざやかに残っているものだろう、と。これもまた当たり前のことなんですけどね。
〔*1〕『西東三鬼全句集』(2001年/沖積舎)所収「凡例」(三橋敏雄)より孫引き。
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