2015年9月8日火曜日

〔ためしがき〕 メモ書きから発掘されるものの一例 福田若之

〔ためしがき〕
メモ書きから発掘されるものの一例

福田若之


三、四年前にゼミでの発表のために作成した、ハイデガー「世界像の時代」における諸概念の関係の見取り図:

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注意:この図式化それ自体がハイデガーの言葉と齟齬をきたしていないかどうかは分からない(検討するには、読み返す必要がある)。∴この図が今の僕にとって魅力的なのは、さしあたり、散文的なレベルの情報によってではない:意味によってではない。視覚的効果によってである。→時間を経たメモ書きは思いがけない価値をもつ場合があるということ。

定規を使っていない:フリーハンドの風合い。「味わい」とまでは言うべきではない。∵この場合、味覚の比喩は自己愛を露骨にする。

線の錯綜→交通網を思わせる。目の線路。概念=長方形=固定性⇔関係=曲線=柔軟性。図は、この描き分けによって見やすくなっている。

疑問:僕はこの図をどこから描き始めたのか?

2015/8/14

2015年9月7日月曜日

●月曜日の一句〔江渡華子〕相子智恵



相子智恵






垂直に手を挙げにごり酒頼む  江渡華子

句集『笑ふ』(2015.7 ふらんす堂)より

居酒屋での注文の様子を描いた句。おそらく乾杯から濁り酒ということはないだろうから、すでに何杯か飲んでいるのか、酒宴に遅れて参加したのかと想像がふくらむ。もしかしたら一人でお酒を飲みに来た人かもしれない。律儀に〈垂直に手を挙げ〉るさまに、生真面目な青年のような人物が想像された。そんな手の挙げ方に興味を引かれた作者が「この人は、何を注文するのだろう?」と、なんとなく眺めていると、野趣あふれる濁り酒を注文している。生真面目な青年から、玄人の親父のような注文が飛び出したギャップに可笑しみがある。

自分が垂直に手を挙げて濁り酒を注文したとも読めないことはないが、やはり他者の描写と読んだ方が面白い。真面目だが酒は好きな人なのだろう。酔って誰かに絡むことも、泣き上戸でもなく、ただ静かに、ニコニコとお酒を飲むタイプのような気がする。

句またがりのリズムが、臨場感と可笑しみを生むのに一役買っている。語順を入れ替えて「垂直に手を挙げ頼むにごり酒」とすることもできるのだが、比べてみればわかるとおり、それだとこの句のリアリティと可笑しみ、勢いは失われてしまう。動作の順と語順が合っているのがリアルなのであり、リズムとしては「濁り酒」と「頼む」の間に少しの間ができ、「頼む」がいわゆる“オチ”のように、かすかな可笑しみを生むのである。

2015年9月5日土曜日

【みみず・ぶっくす 37】 むしろ世界が 小津夜景

【みみず・ぶっくす 37】 
むしろ世界が

小津夜景






 俳句とは、とても小さな空間らしい。
 どのくらいの人がそう感じているのかは謎だ。でも「十七文字は広大で、めいいっぱい手足をひろげないと埋めることができません」という説はまだ聞いたことがない。
 わたしにとって俳句はとても大きな空間だ。反語ではなく。ぼんやりしていると、ちっともことばが埋まらない。だからめいいっぱい手足をひろげる。広い、広い。いくらでもことばが入る。俳句のこの広さに比べれば、わたしには、あくびほどのことしか言うことがない。
 俳句の苦しさとはなんなのだろう。ことばと格闘するとはどういうことだろう。ふだんのわたしは、ことばの好きなようになるのを待っているばかりだ。動物が草むらに寝床をこしらえその中に丸くおさまるように、ことばが十七音に勝手にまとまるのを眺めているだけ。
 尾や耳が、少しはみだすその姿になごむ。
 戦わないことが大切だという気持ちが、風となって響きわたる。
 俳句は苦しくない。わたしにはむしろ世界が息苦しい。そこには声が多すぎる。そこは、なにを言っているのかわからないつぶやきのような、傷もつ呼吸のような、らくがきのような、音の鳴りやまない磨り硝子だ。

 
朝霧や美貌の牛によぎられて
木天蓼の記憶の粉をゆるく吸ふ
水澄めるうすばかげらふ放浪記
露といふ御堂に棲まふものたちよ
天高きひと日を共に聴くフィガロ
糸瓜生る大人のための絵本かな
この世へと踵を返すきりぎりす
ひだまりの色なき風を化石とも
洋梨のいびつな重さ眠くなる
月の矢をいだきてまる通信使
 

2015年9月4日金曜日

●金曜日の川柳〔小梶忠雄〕樋口由紀子



樋口由紀子






笑うしかないところまで行ってみる

小梶忠雄 (こかじ・ただお)

「笑うしかないところ」って、一体何処で、どんなところだ。わかるようでわからない。輪郭がありそうでいてぼんやりとしている。だから余計に気になる。けれども、具体的な説明はなにもなく、手がかりは一切書かれていない。だから一句の前から動けなくなり、立ち止まり続ける。この連れて行き方が巧者である。

「笑う」というのは「怒る」や「泣く」と比べて、いろんな意味を含んでいるフクザツさがある。広辞苑をひくと「うれしさ、おかしさ、楽しさ、照れくささ、軽蔑などの表現として」とあった。

平易な語句を選択しているが、平易な世界を描こうとはしていない。この世には言葉ではうまく言えない、説明できない諸々があるのだ。案外、「笑うしかところ」は外にあるのではなく、作者の内にあるのかもしれない。「川柳びわこ」(2009年刊)収録。

2015年9月1日火曜日

〔ためしがき〕 素焼き 福田若之

〔ためしがき〕
素焼き

福田若之

素焼き:メモ書きに対する物質的な隠喩としては、おそらく最適なもののひとつ。→原始的(ただし、これは素朴さ、仮組み、宙吊りであって、〈起源〉ではない。∵素焼きはすでに焼かれている);ざらつき(素材の質感):釉薬のなさ。

釉薬のなさ≠文飾のなさ。∵文飾は推敲ぬきにも存在しうる。アラ・プリマ絵画にも彩りはある。

釉薬とは皮膜である。 ∴素焼き:言葉を包み隠すことなく焼くということ。

素焼きは、なによりも本焼きと対比されるだろう。→本焼き:清書?

2015/8/14