2020年5月15日金曜日

●金曜日の川柳〔前田雀郎〕樋口由紀子



樋口由紀子






退屈な猫に出て行くとこがあり

前田雀郎 (まえだ・じゃくろう) 1897~1960

コロナ自粛で、ゴールデンウイークはどこへも行かなかった。こんなことははじめてである。どこにも行けないので本の整理をしていたら、こんな句を見つけた。掲句は半世紀以上前に作られた川柳である。

作者も猫も退屈していた。しかし、猫には行くところがあるようで、悠々と自分の前を通り過ぎて、外に出て行った。で、自分一人が残された。飼い猫が外へ出てゆくうしろ姿は誰もが目にすることで、たったそれだけの、とりたてていうほどのことではない、いつもの日常の一場面である。それを自分はあたかもどこへも行くところがないかのようにつぶやいている。自嘲気味に、軽く一句にし、何やらの余韻を残す。そのように見てしまう作者が情けなくもあり、おかしくもある。

2020年5月11日月曜日

●月曜日の一句〔田島健一〕相子智恵



相子智恵







ほほざしの肺まざりあうから来るな  田島健一

季刊同人誌「オルガン」21号 俳句作品「来るな」(2020.5.5 発行人 鴇田智哉)所載

〈ほほざし〉は「頬刺」で、季語「目刺」の傍題。藁や竹串をイワシの目に刺して干せば目刺、口から鰓に刺したものが頬刺である。スーパーで見かけるものは頬刺が多い気がする。

頬刺にされ、他者と自分の鰓が密着したイワシたちが、互いに〈肺〉が〈まざりあうから来るな〉と恐怖に駆られて怒鳴りあっている。イワシたちは離れることもできずに、苦しそうに大きく口を開けた状態で干されている。

掲句は、新型コロナウィルスの感染拡大の恐怖から来る、社会のあれこれが想起させられるように書かれた句である。イワシのことを描きながら、今現在の社会をあぶり出した秀句だと思う。

密閉・密集・密接の「三密」、それでも乗らなければ生きていけない理不尽さに、叫び出したい気持ちを抑えながら、みんな無言で乗っている満員電車。いわゆる「自粛警察」に見られるヒステリックな社会。コロナ禍で見えてきたこうした社会の軋みのあれこれが、口と鰓を無理やりこじ開けられ、密着させられ、恐怖に叫ぶイワシたちの姿から感じられてくるのである。

2020年5月9日土曜日

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2020年5月4日月曜日

●月曜日の一句〔宮﨑莉々香〕相子智恵



相子智恵







花の蜜のあんた何時まで吸ふストロー  宮﨑莉々香

「できあいの郊外」(ウラハイ 2020.4.28号【名前はないけど、いる生き物】)所載

〈花の蜜の〉〈ストロー〉で、ストローのような蝶の口が想像されるように書かれている。そこに唐突な〈あんた何時まで吸ふ〉が妙に可笑しい。ここで急に、喫茶店でずっと飲み物のストローを啜っている子どもや若輩の者に向かって、「あんたいつまでストロー吸ってんのよ」とあきれ顔で指摘する人の姿がカットインされてくるのだ。〈花の蜜の〉で切れずにつながりながら、場面がゆがむように変わり、最後の〈ストロー〉で再びごちゃっと蝶と人とが統合されていく感じが、妙な遠近感と手触りで面白い。〈ストロー〉というキーワードが不思議に働いている。

そういえば私にとって、それまで何とも思ったことのなかったストローが喫緊の課題となったのは、子育てをしている過程でのことだった。哺乳瓶の次に使わせるのがストローだったからだ。ストローが使えないことは水分が摂れないことを意味するので、覚えさせるのに必死だった。哺乳瓶という直感的な分かりやすさから、一段違った形と概念への移行。まずは「これを吸えば液体が出てくる」という原理を知らせるところから始めなければならなかった。そういう意味では、ストローはスプーンと共に、一番最初に覚えさせた「文明」だったと思う。

横道にそれてしまい、鑑賞ともいえぬ文章になってしまったが、そんな個人的なことも思い出させる不思議に可笑しい手触りの一句である。

2020年5月1日金曜日

●金曜日の川柳〔真島凉〕樋口由紀子



樋口由紀子






砂時計コドモコドモと落ちてゆく

真島凉 (ましま・すず) 2004~

何を計っているのだろう。大人になるまでの時間だろうか。砂時計はふつうさらさらと落ちていく。それを「コドモコドモ」と聞こえる感性に驚いた。作者は中学三年生。中途半端で微妙な年齢、大人と子どもの境界にいる。大人や社会の都合で大人だといわれたり、子どもだといわれたりする。「コドモ」という言葉になにがしかの思いや多少の反発がある。だから、そう聞こえてしまうのだろう。

「さらさら(SARASARA)」ならA音だが、「コドモコドモ(KODOMOKODOMO)」はO音である。プラス「ド」と濁音が入る。A音に比べてO音には引っかかり感が出る。「コドモコドモ」を音と意味の両面から捉えている。さて、砂時計が全部落ちたら、どんな大人になるのか。今しか聞こえない音だから、よく聞いて、今を大切にしてほしいとおばあさんは思う。「川柳の話」(第1号 2020年刊)収録。