2017年6月30日金曜日

●金曜日の川柳〔福永清造〕樋口由紀子



樋口由紀子






孫の写真に俺の顔が半分

福永清造 (ふくなが・せいぞう) 1906~1981

孫の写真を見ていたら、隅っこの方に自分も写っていた。顔の半分だけだったが、確かに俺。思いがけないものを見つけて、嬉しくなったのだろう。七五三とか入学式とか、なにか記念の時だろうか。そのころを思い出し、孫の成長と今よりも若かった自分を懐かしんでいる。日常のちょっとして喜びをうまく表現している。

自分の顔が半分しか写ってないのが不満というのではない。半分でも自分の顔が孫と一緒に写っていたことが何より嬉しいのだ。川柳が人生の哀歓を詠む文芸であると掲句を読んでつくづく思う。ほのぼのとした人間味が出て、現実感がある。合同句集『甍』(1972年刊)所収。

2017年6月28日水曜日

●水曜日の一句〔若林波留美〕関悦史


関悦史









光速を超えしさびしさ月夜茸  若林波留美


光速を超える物質は存在しないということに、今のところなっているらしい。数年前に光速を超えるニュートリノが観測されたとの実験結果が報じられたことがあったが誤りだった。

なのでこの句の「光速を超えしさびしさ」は、字義通りに取れば、現実を超えたところで初めて味わい得る感情ということになる。

いや、常識的に取れば《月夜茸には光速を超えたようなさびしさが感じられる》といった句意となるのだろう。発光する毒茸に対し、「光速」と「さびしさ」はそれぞれ《光》と《人への拒絶》という共通性を通じて連想が及び、しかしイメージとしては詩的な飛躍をもたらしている。月夜茸が宇宙を越えて飛来した生物のようにも見えてくるのだ。

だがそれにしても、「光速を超えしさびしさ」とは、孤立しているには違いないとしても、それは陶然たる自足に近い。その自足が発光をもたらすのだろうか。

あえて比喩的にではなく取った場合、光速を超えたのは「月夜茸」か、それともそれを見ている語り手かといった設問はおそらく無意味で、「光速を超えしさびしさ」はその両者が一瞬のうちに果たした邂逅と理解のうちに共有されている。地球の生命の起源は宇宙からの飛来物という説もあることを思いあわせれば、「月夜茸」とわれわれの間に大差はなく、別々の姿を取るにいたっているとはいえ、どちらも同根の、宇宙のなかの一現象と見えてくる。「光速を超えしさびしさ」とは、全ての生命を産み出すマトリックスなのだろう。


句集『霜柱』(2017.5 東京四季出版)所収。

2017年6月27日火曜日

〔ためしがき〕 エックス山メモランダム9 福田若之

〔ためしがき〕
エックス山メモランダム9

福田若之


ゆるい坂道沿いにばったもんのベイブレード白いかごで売るみせ

古くから古くてトポス、その前には宝くじ売り場があって

母がなくして今も北第一公園にきっと落ちている錆びた鍵

左右ひろい畑で電柱にぶつかった僕は自転車できんたまを打った生きててはじめての感覚

冷えピタ付けたまま摂氏42度の熱でリビングを駆けずり回る「死ぬ死ぬ!」

インフルエンザ以後ながらくの痰の時代

友達んちのそばの公園の前のラーメン屋いつも開いてんのかどうかもわかんなくて暗くて

蕎麦屋の裏のビデオ屋いつから日に褪せたぺらぺらのバットマンのほほえみ

2017/6/20

2017年6月26日月曜日

●月曜日の一句〔松井眞資〕相子智恵



相子智恵






時の日や宙に停まる観覧車  松井眞資

句集『カラスの放心』(文學の森 2017.06)所収

そういえば「時の記念日」というものがあったな……と、掲句を読んで思い出したくらい、私の中では認識が薄くなっていた日であり季語だった。どういう句があるのだったかと歳時記の例句も見てみたが、特に人口に膾炙した句も見られず、象徴性が湧きにくいのだろうと思う。

掲句、営業終了後の観覧車だろうか。観覧車は宙ぶらりんのまま、次の営業開始時刻まで止まっている。ただただ風に吹かれるのみの、その寂寞とした時間に、そういえば時の日が過ぎようとしているという静かな感慨が重なる。

観覧車は風の中で回り、止まることを、いつか取り壊されるその日まで繰り返す。次々と乗せては吐き出す人々は観覧車の中に留まることはなく、来ては去ってゆくのみだ。まるで『方丈記』の冒頭のような無常を、静かに、正確に時が刻んでゆく。〈時の日〉という季語が活かされた句だと思った。

2017年6月24日土曜日

●さざなみ

さざなみ

藻の上をさざ波はしる障子かな  岸本尚毅

新涼のさざなみに似し手紙あり  峯尾文世

漣のさみしくなりし日傘かな  岡本眸

羽子落ちて木場の漣あそびをり  石田波郷

さざ波のたちて仔猫の通りすぐ  小林すみれ〔*〕

桜餅今日さざ波の美しく  大木あまり

〔*〕『椋』第76号(2017年6月)より