ブリキと茸
compiled by saibara tenki
4回決め打ちです。
人が茸に熱中することによって、音楽についての多くを学ぶことができる。私はそういう結論に達した。その目的のために、私は最近田舎に引っ越したのだ。そして菌類の「野外採集の友」の熟読に多くの時間を費している。そういう本は、よく古本屋で半額で見つかるのだが、そんな古本屋はごく稀に、ページの端が捲れてしまった楽譜を売る店の隣りにあったりする。そんなときには、私のしていることが正しいという動かぬ証拠を見た思いに心浮き立つ。
(「音楽愛好家の野外採集の友」ジョン・ケージ:『音楽の零度』近藤譲訳/朝日出版社1980所収)
猿の腰掛のような茸と音楽の女神を結合させてしまったからといって、私が不真面目で軽率で、悪く言えば「ごたまぜ趣味」だ、と思われないために、作曲家はいつも音楽を他の何かと混ぜ合わせているのだということを考えてほしい。(同)
森の中で、私の沈黙の曲の演奏を指揮して、私は多くの楽しい時間を過ごした。聴衆はたったひとり私自身だけだから、その曲は私が出版した一般に知られている長さよりずっと長い。(同)
私は、音と音との間の関係に興味がないのと同じように、茸と茸との間の関係にもそれ以上の興味はない。そうした関係というのは、この世界では場違いなばかりか、時間の浪費でもあるような論理の導入に深く関わってしまうことになる。(同)●
つまりそれ故に、私達は、ひとつひとつのものを直接に、それが在るがままに見極めねばならない。ブリキ製のホイッスルの音であっても、優雅な傘茸であっても。(同)
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