2010年2月2日火曜日

●コモエスタ三鬼05 新興俳句の夜明け

コモエスタ三鬼 Como estas? Sanki
第5回
新興俳句の夜明け

さいばら天気


三鬼先生は雑俳屋にはなれそうもないから、本格的に俳句をおやんなさい……患者の一人にそう言われ、紹介されたのが「走馬燈」という同人誌。1933年(昭和8)創刊の同誌には清水昇子(のちに天狼、青玄)がいた。16ページ。雑詠選は日野草城。表紙題字は山口誓子揮毫。

この「走馬燈」1933年11月号掲載の2句「寝がへれば骨の音する夜寒かな」「秋風や五厘の笛を吹く子供」が、全句集(註1)に依拠する限りにおいて三鬼最古の句。

翌1934年(昭和9)になると、「走馬燈」のほか「天の川」「青嶺」「京大俳句」「ホトトギス」「馬酔木」に続々と俳句を発表。全句集に補遺として収録された1934年作はおよそ140句にのぼる。

「天の川」は九州で吉岡禅寺洞が主宰。1927年(昭和2)に横山白虹編集となって社会派新興俳句を推し進めることとなった(註2)。「京大俳句」は1933年(昭和8)に平畑静塔らによって創刊。「馬酔木」は、1928年(昭和3)に水原秋桜子を主導として「破魔弓」(1922年=大正11年創刊)を改題して再出発した。

新興俳句は、水原秋桜子が1931年(昭和6)「ホトトギス」を離脱するをもって、そのスタートとされる。このあたりの俳壇の流れを、三鬼は次のように振り返っている。
昭和8年「走馬燈」創刊までの俳壇を見ると、昭和2年に虚子は「俳句は天下無用の閑事業としておくのが一番間違ない」(虚子句集序文)といった。同じ頃その「ホトトギス」の同人である草城は、「客観写生は平板無味だ、自然から偶意を感じ知る事が詩人の務めだ」(京鹿子)といい、同じく誓子は「在る世界から、在るべき価値の世界の形成を目指す」(ホトトギス)といっている。(「俳愚伝」:『俳句』1959年4月号~60年3月号(註3)
虚子の「俳句=天下無用の閑事業」発言は、意気軒昂の若い俳人には、気に障るものだったろう。
秋桜子は、昭和6年に、高野素十の句風が、植物の芽の形態などに拘泥している事を鋭く非難し、次いで「自然の真と文芸上の真」という、有名な主張を発表して「ホトトギス」を離脱した。(前掲)
槍玉にあがったのは高野素十の有名句「甘草の芽のとびとびのひとならび」。この句に代表される素十の近景描写は、「主観」の秋桜子にしてみれば、「なんだ、これは。見たままを俳句にして、どーする」ということになる。

ただ、秋桜子と素十の作風の隔たりはここに始まったものではない。1928年(昭和3)時点ですでに虚子は、秋桜子と素十を作風上の二極と捉えている。
元来広く文芸といふものには二つの傾向があります。一つは心に欲求してをる事即ち或理想を描き出さうとするもの、一つは現実の世界から自分の天地を見出すものとの二つであります。(高浜虚子「秋桜子と素十」『ホトトギス』昭和3年12月号所収)
秋桜子のホトトギス離脱は、ホトトギス=上記の二極のうち後者、すなわち〔「現実の世界から自分の天地を見出す」=素十〕から離脱にほかならないわけだが、この二極の対照は、昭和初期固有のものではなく、今もなお、連綿と続く対照とすることもできる。

ざっくりいえば、主観vs客観、こころvsモノ。誤謬を怖れずさらに展開すれば、私性vs非・私性。秋桜子系の俳句と素十系の俳句の対照(あるいは対立)は、2010年の俳句のうち数多くに当てはまるように思う(註4)



ともあれ、三鬼の俳句デビューは、新興俳句の黎明期にあたった。これを、歴史の偶然とすることもできようが、半面、新興俳句以前の「ホトトギス」系俳句に、三鬼がはたして深入りしたかというと、あまりそう思えない。

三鬼の句作全体を眺めると、圧倒的な句がいくつも存在する一方、器用に、俳句的技巧を駆使できるタイプではない。もし三鬼が伝統的俳句をつくっていたら、という「もし」は無意味だが、大家を為すところまでは行かなかったのではないか。また、それよりも、師匠・弟子関係を長らく維持して、じっくり俳句の研鑽を積む、といったことができたはずはない、とも思えてくる。

なんでもそうかもしれないが、歴史が人を生み出す。新興俳句がなければ、俳人・三鬼は生まれなかった。

(つづく)

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(註1)『西東三鬼全句集』沖積舎・2001年
(註2)秋尾敏「新派・新傾向・自由律・新興・前衛」(『俳句の広がり』角川学芸出版2009所収)等による。
(註3)西東三鬼『神戸・続神戸・俳愚伝』出帆社・1975年
(註4)秋桜子系vs素十系の一例として、松本てふこ「バター」7句をめぐる『俳句』2009年5月号「合評鼎談」の議論に思い出した。その概要については、
高山れおな「俳誌雑読其の七」:豈 Weekly
自己表現としての俳句:僕が線を引いて読んだ所
…の2記事を参照。
もうひとつの山場は、「俊英7句」欄の松本てふこの「バター」という作品についてで、

今井 私は、あっけらかんと、ちょっと可愛い、ではダメだと思うのです。
本井 どこに書いてあるんですか、そんなこと。

といったあたりにぐっときた。

今井 何か表白したい強烈なものがない限り、やる必要がないんです、文芸なんて。大袈裟に言うとデモーニッシュなものがないんだったら、なぜ、自己表現をするんですか、何のために、という感じがするんです。ここに何か、松本てふこさんの人生のどろどろ、垢、生きていくエネルギーみたいなものが反映されないと。
(高山れおな「俳誌雑読其の七」)
鼎談記事では本山英vs今井聖という図式だが、実質的には、松本てふこvs今井聖の対照(対立)である。「童子」の松本てふこの師系が、辻桃子→波多野爽波→虚子と遡るのに対して、今井聖は加藤楸邨→水原秋桜子。符帳が合う。

「気のせゐのやうな福茶の甘さかな」(松本てふこ)はけっして素十的ではないが、今井聖の言う「デモーニッシュなもの」「人生のどろどろ、垢、生きていくエネルギーみたいなもの」といった≪観念≫の出自を辿れば、昭和初期の秋桜子に行き着く。



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