2010年5月29日土曜日

●ホトトギス雑詠選抄〔20〕麦・下

ホトトギス雑詠選抄〔20〕
夏の部(五月)麦・下

猫髭 (文・写真)


「麦の秋」とは「秋は百穀成熟の時であるが、麦は夏日の下に黄熟する。それでかういふ名がある。まだ烈日といふ程でもなく、満目新緑のなかに麦が黄熟するのは美しい。麦秋(むぎあき)」(虚子『新歳時記』)。

「麦秋」をどうして虚子はバクシュウではなく、ムギアキと読ませたのだろう。

というのは、短く鋭い音を好んだ虚子であれば「ムギアキ」という間延びした音韻ではなく「バクシュウ」という締まった音韻を好むような気がするし、何と言っても「麦秋」といえば、昭和26年の小津安二郎の最高傑作『麦秋(ばくしゅう)』(英語名『Early Summer』)がある。個人的には、これが世界映画史上の最高傑作でもある。

詩人の田村隆一も常連だった鎌倉の『映画館』の主、新井勝さんは小津映画を語らせたら左に出る奴はいるかもしれないが右に出る奴はほとんどいないほどの小津は俺のもんだという筋金入りの小津ファンで、わたくしも原節子の紀子三部作(『晩春』『麦秋』『東京物語』)に憧れて、彼女の家の近くに引っ越したほどだから、この二人が『麦秋』の話を始めると、ほとんどセリフも言えるので、今日はどっちの役やる?二本柳寛の息子役、杉村春子のお母さん役、などと、とっかえひっかえ再現シーンを果てしなくやるという映画馬鹿である。それほどこの映画は、ファーストシーンからラストシーンの麦畑まで、間然として見果てることのない映画人の思いが込められている。

虚子は鎌倉を舞台にした小津映画をどう見ていたのだろう。小津も俳句をやるが(艶っぽい俳句を詠む)、虚子とは関わりがなかったのだろうか。わたくしの行きつけの天婦羅屋や呑屋には小津安二郎や小林秀雄や永井龍男などの名前がついた食べ方があるが、わたくしが知らないだけかもしれないが、虚子の行きつけの店は鎌倉で出会ったことがない。小津ファンであれば「麦秋」はバクシュウだが、虚子はムギアキとわざわざ読ませている。まさか、小津に張り合っているわけではあるまいが、いや、案外、虚子は変に見栄っ張りなところがあるから、映画ではバクシュウかもしれませんが俳句ではムギアキです、なんぞと言い張っていたのかもしれない。

それは冗談だが、麦の句は佳句が並ぶ。

麦刈や娘二人の女わざ 鬼城 大正2年
麦秋や頬を地につけて風呂火吹く 泊雲 大正6年
麦秋や病馬厩に吊られ居り 崑山 大正10年
麦の穂はのびて文福茶釜道 風生 昭和5年
たふれたる麦の車の輪が廻る 橋本鶏二 昭和7年
道しるべ多き嵯峨野の麦の秋 倉西雅三 昭和10年
麦の秋夜な夜な赤き月を待つ 池内友次郎 昭和12年

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