
樋口由紀子
鏡ありて人間淋しい嗤ひする
小宮山雅登 (こみやま・まさと) 1917~1976
鏡にむかうとなぜか表情をやわらげてしまう。ときにはおかしくもないのに鏡にむかって笑っている。どうしてなのか。こわい、きつい、かたい、そんな自分の顔をみたくないためだろう。
しかし、それは「淋しい嗤ひ」。まさしくそうである。「嗤ひ」の漢字表記が効いている。人の繊細な、感じやすいさまが何とも言いあらわせられないほどの抒情性を含ませて表現している。
小宮山雅登に〈胡瓜もみ妻に与える夢あらず〉という句もある。温かくてやさしい。滋味に溢れている。こんな風に妻を見ている夫っていいなあと思う。いや、その前にそのように胡瓜もみをしている妻であるかどうかの方が問題なのだが。〈夜の雨や貌が剥げ落ちそうである〉〈民衆どっとわらひ一人に米がない〉〈矢が的を貫くむなしきを見たり〉『川柳新書』(昭和32年刊)所収。
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3 件のコメント:
当方、文学的センスは全くありませんが、ここ最近、親父の作品が気になっています。
取り上げて頂いた「川柳」は、何処の出版(文芸誌?)に掲載されたものでしょうか。・・・教えて頂けないでしょうか。
お問い合わせの件。以下のとおりです。
小宮山雅登集(川柳新書第19集)川柳新書刊行会 1957年3月
※現物は著者・樋口由紀子さんの手元になく、 間接的な参照に依ったとのことです。
週刊俳句 西原天気 拝
早速に頂いた、コメントを見過ごしていました。 御礼の挨拶が遅れてすみません
◎重ね重ねで恐縮ですが、---小宮山雅登集(川柳新書第19集)川柳新書刊行会 1957年3月--の刊行物は、何処かで閲覧できるでしょうか?
教えて頂けると幸いです。 小宮山 敏明
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