チヤホヤの科学
西原天気
それだけなら、世の中にはいろいろな人がいる、で済むのですが、チヤホヤ願望がヘンな方向に進展するケースがある。
phase 1 チヤホヤされたい
:まあ正常の範囲。健康という言い方もできるかもしれない。
phase 2 あの人がチヤホヤされて自分がチヤホヤされないのは不当だ
:ルサンチマン入っちゃって、かなりアブナイ。
phase 3 チヤホヤされているあの人も、チヤホヤしている奴らも、最低だ
:病気。
こうした過程は、句会後の酒席やSNSで人の目に触れたりもする。見ている・聞いているほうとしては不快で、遭遇しちゃうと、俳句世間、あるいは俳句からますます気持ちが遠のいたりもします。
対処法は無視。放っておくしかないのですが、これ、ひとつには、「人」にフォーカスしすぎているのではないか。
チヤホヤは、人じゃなく、句や連作や句集に向ければいい。というか、向けるべき。
私たちは俳句愛好者であって、俳人愛好者ではない。
誰かをさかんに持ち上げる人がいたとして、じゃあその誰かにどんな句があるのか? そう訊かれて、ろくに答えられないというケースはないか(ありそう)。
人付き合いは楽しいものですが、俳句そっちのけで、俳人同士の交流に勤しみ、サロンやら俳壇やらをかたちづくり、サロン的言説に終始するというのも、なんだかなあ、です。
5 件のコメント:
「俳句を愛している人ではなく、誉められることを愛している人です。
そのような人たちは、いずれ俳句に捨てられます。」
夏井いつき氏がご自身のブログにて、他人の句を盗作する人について言った言葉ですが、
チヤホヤを手に入れる手段として俳句をやってるだけの人にも、言えるかもしれません。
俳句に捨てられないようにしなくては。
はい、褒められたい病です。
週刊俳句とは別ページになるが、きっこ氏の俳話集「俳壇のゴッホ達」でも言及されていた通り、
俳句を評価するよりも、その作者、主にご高齢の方々を作品とは無関係に評価したがる人たち、
まさに俳人愛好者が当たり前に存在している。
カネを出してくれる結社との関係もあるのであろうが、結社の功罪の
罪の中でも、極めて大きいもののように思う。
逆にというか、チヤホヤしたい病もありますよね。
俺が見つけた、俺が育てたと言わんばかりの。
(流派の型に近づけば近づくほど褒められる)お花、お茶……、お俳句になってますね。
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