樋口由紀子
満ちてきて豆腐のようなものになる
妹尾凛 (せのお・りん) 1958~
「満ちてきて」も「豆腐のようなもの」も具体的に何かとはつかめない。どちらも心象風景だろう。作者の裡にある空間にじわっ~と甦ってくるような、あるいはやわらかく埋めていくようなもので、はっきりと意識していなかったこと、あるいは言葉にできなかった感覚が「豆腐のようなもの」として輪郭をつかまえたのだ。その感覚は普段はなかなか捉えることができない。そうたびたびやってきてはくれない。だから、「満ちてきて」なのだろう。
それはなにかに役立つような、りっぱなものではないように思う。悟るとか、賢くなるとか、美しくなるとか、一般的な価値基準とは別次元の、共感ベースでは割り切れない名誉の屈折感とでも言おうか、でも、まさしく「私」を実感できる。「豆腐のようなもの」は作者にとっては独自の、至福の感覚なのではないだろうか。「うみの会」(2017年)。
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