樋口由紀子
横顔が植物園になっている
吉田健治(よしだ・けんじ)1939~
自分の横顔が植物園になっているのを感じたのだろうか。それとも妻か身近な人の横顔が植物園になっているのを気づいたのだろうか。「植物園のように」ではなく、「植物園に」である。独自の把握である。横顔とはそういうものだと語調を落して言っているように思う。
「植物園」は陽の当たり具合や場所で別々の様相になり、華やかであり、種々の寂しさもある。作者が「植物園」をどう捉えたかはわかるようでわからないが、感触が伝わってくる。あとづけでいろいろと想像できる。「横顔」や「植物園」のわけのわからない存在感を出している。
〈ある桜扁桃腺を病んでをる〉〈いちにちというぺらぺらの洗面器〉〈老人は考えながら寝る木です〉〈死はいつもシャボン玉を吹いている〉。「彼は江戸っ子だ。気は優しくて力は無い。」と鑑賞の渡辺隆夫節が冴えている。『青い旗』(2013年刊 抒情文芸刊行会)所収。
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