2018年12月4日火曜日

〔ためしがき〕 岸本尚毅と語彙についての覚え書き 福田若之

〔ためしがき〕
岸本尚毅と語彙についての覚え書き

福田若之

風味絶佳だが、見た目は少しキモい。
(『岸本尚毅集』、俳人協会、2018年、47頁)
これは《つくづくと見る鮒鮨や秋の風》(岸本尚毅)に付された自註の一節である。 おもしろいのは、「風味絶佳」という言葉から「キモい」という言葉へと下るその落差だ。すとんと落ちる。「キモい」みたいな言葉は、語彙の貧しさを象徴する言葉のように扱われがちだが、ここでは、むしろ、語彙の豊かさのなかで「キモい」という一語が救われている。

岸本尚毅という俳人を考えるうえで、語彙というのは、きわめて重要な観点のひとつとなりうるだろう。たとえば、《しぐるるやをかしき文字のトイザらス》や《WOW WOWと歌あほらしや海は春》、あるいは《テキサスは石油を掘つて長閑なり》といった句は、まさしくこの点からこそ光が当てられるはずのものではないだろうか。そういえば、こんなことも書かれているではないか――「森澄雄の〈妻がゐて夜長を言へりさう思ふ〉の「さう」をいつか真似てみたいと思っていた」(同前、124頁)。これは、《さういへば吉良の茶会の日なりけり》という一句に付された自註の一節である。このように、ひとつの言葉を自らの語彙に加えるために句を書くということがある。その姿勢には、もしかすると、子規や漱石に通じるところがあるのかもしれない。すなわち、そこで試みられているのは、次のような意味での「写生」かもしれないのである。
要するに、子規にとって「写生」において大切なのは、ものよりも言葉、すなわち、言葉の多様性であり、その一層の多様化であった。そのことを理解していたのは、多種多様な言葉をふんだんに使った漱石だけである。
(柄谷行人『定本日本近代文学の起源』、岩波書店、2008年、84頁)

しかし、一方で、尚毅は、柄谷が「一般に、写生文は、平板な言葉による「写生」という方向に受けとられた。それを促進したのが、もともと小説家を目指していた高浜虚子なのである」と図式化してみせるような歴史的な文脈のうえにも身を置いているには違いない(同前、84頁)。ここをどう考えるかが、岸本尚毅と語彙という主題を考えるうえで、ひとつのポイントになるはずだ。
2018/12/1

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