相子智恵
人に会ふための師走の橋渡る 日下野由季
句集『馥郁』(ふらんす堂 2018.9)所収
恋の句かもしれないし、そうではないかもしれない。〈人に会ふための〉の高揚感がいかにも〈師走〉であり、一読でうきうきする。
おそらく作者の定型感覚ならば、例えば「会ふための師走の橋を渡りけり」のように五七五のリズムと内容の切れ目をすっきりと合わせることも容易に考えられただろう。だが、リズムと内容の切れ目をあえてずらしていくことで、心が逸っていく様子や高揚感を前面に出している。音読してみると〈人に会ふ〉までの感覚的な長さに比べて〈ための師走の橋渡る〉は「の」の繰り返しによって疾走感が生まれていて、それが心の高まりを感じさせる。
師走はせわしなくて困るけれども、人も町も浮足立ち、常とは違う楽しさがある。その大きな要因が、忘年会やクリスマスなど、人と会う楽しさだ。生きてきた時間がだんだん長くなってくると、一年に一度しか会わないという人がどんどんでてくる。そういう人とは一年の終わりの〈師走〉が会うための大きなきっかけをくれる。こうした節目は一方では煩わしいものかもしれないが、人生の残り時間にふと考えが及び始める年代になって、初めてその役割の大きさを思う。
掲句はまったく個人的な句であるのに普遍性があって、内容とリズムの速さに「会いたい人には会っておけ、会えるならばその橋を渡れ、師走だぞ」と背中を押してもらった気がした。
0 件のコメント:
コメントを投稿