2019年5月11日土曜日

●土曜日の読書〔翻訳のキモチ〕小津夜景




小津夜景







翻訳のキモチ

翻訳には言葉を数学的に思考する面白さがある。

考えに没頭して現実を忘れ、試行錯誤のあげく一周してシンプルな式に辿りつく、その瞬間がたのしい。また一度くぐりぬけた試行錯誤を公式化して別の翻訳に応用できる場合もあり、昔の翻訳本を読んでいてそんな公式と出会ったときは、ううむその手があったかと感動する。
「秋浦歌」李白
白髪三千丈
縁愁似箇長
不知明鏡裏
何処得秋霜
わが黒髪もしら糸の
 千ひろ/\に又千ひろ、
うさやつらさのますかがみ
いづくよりかは置く霜の、
なんと〈千ひろ×3〉で三千丈だ。訳者は忍海和尚。三千丈という言葉をきちんと訳し移した例を知らなかった私は、この「数を分解する」といったエレガントな解答例を自前の公式集にいそいそと書き込みつつ、こう思う。そういえば16歳のことを二八(にはち)と言うよなあ、そこから自力で発見できる可能性はあったんだ、と。

忍海和尚の訳は、大庭柯公其日の話』(春陽堂。なお中公文庫『江戸団扇』はこの改題復刻版)で見つけた。柯公といえばなんどもロシアで逮捕投獄され、日本社会主義同盟の創立にかかわったエスペランティストで、1924年にロシアで死亡したのだけれど、近年これは粛清されたと考えられているようだ。
近ごろ帝国ホテルでは、日本風に翻訳したメニューを時々出す。それにはアスパラガスを「新うど」としてある。中央亭の方では、それが支那風の翻訳だ。露国式ザクースカの事を「前菜」、スープが「濃嚢(のうかう)」に「淡嚢(たんかう)」、アイスクリームが「乳酪冷菓」と云たやうな塩梅だ。翻訳といふことも広い意味で云ふと文字の翻訳から、意義の翻案までを含んでよからう。例の発明翻案の天才平賀源内が、或時厚紙を三角の袋にして、その中へ糊を入れて、一方に小さな穴をあけて、押し出して使ふ万年糊を想い着き、それに「オストデール」といふ名を着けて、売り出させた。荷蘭(オランダ)ものゝ渡来、西洋ものの流行り始めたアノ頃としては、好個の翻案である。誰が云ひ出したことか、袴のことを「スワルトバートル」などゝ洒落たのも、此辺からの重訳であらう。
柯公がエスペランティストになったのはインターナショナルとの絡みよりも、むしろ生来の言葉好きが関係している。発明翻案というのも、デタラメにでっち上げるのではなく、オランダ風とか、漢語風とか、ちゃんと音を意識してつくると足腰が強くなりそうな遊びだ。漢語風で私が思い出すのは、山内容堂がジャノメ傘を「蛇眼傘(じゃがんさん)」と翻案したことで、これはとても風流。いっぽう柯公の本では、乃木大将が日露戦争の激戦区である203高地のことを「爾霊山(にれいさん)」とした例が挙がっていた。
「爾霊山」乃木希典
爾靈山嶮豈攀難
男子功名期克艱
銕血覆山山形改
萬人齊仰爾靈山
203高地は険しいが、なぜ登れないことがあろう。
男子たるもの功名のためには困難に打ち克つのだ。
兵器と鮮血とが山を覆い、その形を変えるほどの戦。
人々皆は仰ぎみる。爾(汝)らの霊の山を。
203高地=爾霊山=汝の霊の山か。たしかに「余程文字の素養があつたことが分る」と書かれるだけのことはある。翻案という所作は、外国語翻訳という枠を超えて、言葉の素養として深い広がりを持っているのだなあ。

広がりついでに書けば、実は号(ペンネーム)という所作にも翻案の精神は働いている。この話はまた今度書きたいのだけれど、さしあたり大庭柯公という号にのみ言及すると、これは「大馬鹿公」のもじりである。仏誤翻案風にいえば、さしずめマルキ・ド・クレタン、といったところですね。


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