さいばら天気
「で、お題は?」と、句会となれば訊くタイプの人がいます(私も、そう)。出句のルールにはおおまかに題詠(兼題・席題)と嘱目(自由題)のふたつがあるわけですが、波多野爽波におもしろい記述があります。
私の手許には毎月五十冊を越える雑誌が贈られてくるのだが、それらの雑誌の「句会案内」の欄を見ると句会ごとに「兼題」の出されているものは殆ど見当たらないことに気付いて驚いた。よその結社では「題詠」ということが行われていないのだろうか。私のなかには、結社の句会は嘱目、また伝統派は嘱目というイメージがなんとなくあったので、これを読んだとき、ちょっと意外でした。
(…)虚子先生の出席される句会にはすべて兼題が出ていて、また句会当日には必ず会場に席題が貼り出されてあって、締切のぎりぎりまでみんな必死になって席題と取り組んで、句を作ったものだ。私の初学の頃は、句会といえば出句は兼題と席題の句にのみ限られていて、これが普通の句会形式であった。それがいつの間にか「属目」も許容されるようにあり、それと共に相対的に兼題、席題の占める位置が低下して、現在に至っているようだ。……波多野爽波「題詠とは」(1986)『枚方から』〔*〕所収
兼題・席題は、吟行句会でも同様だったと、爽波は言います。
折角こんな所に来たのだから大いに写生に専念しなさい。しかし肝腎の心の方がお留守になって想像力、集中力が散漫になってはダメだから題詠で大いにそれを鍛錬なさいという先生(虚子・筆者註)のお諭しであったと思う。
俳句とはもともと題詠で勝負するもの。その題詠で存分に想像力をはばたかせ、集中力をぎりぎりのところまで凝縮させるために、常々写生の修練を怠らずに努めて強靱な足腰を養っておく。これが真剣な句作りの構図とも言うべきものであろう。……同この部分も意外。「勝負」は嘱目で、題詠は常々の訓練、というアタマがありましたが、爽波の流儀は、その逆です。いわば、写生は日々のトレーニング、題詠が本番の試合。
いや、意外でした。
もっとも、ここで言われている「題」は、季題なのかもしれません。私の参加する題詠句会は季語を題にすることはほとんどありませんが、ところによっては、題といえば季語/季題ということらしいですし。
〔*〕『枚方から』は波多野爽波の短文連載を集めた私家版冊子。贈呈を賜りました猫髭さんに感謝。
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3 件のコメント:
爽波のお弟子さんだった榎本享さんに聞くと、必ず兼題が出ていて(島田牙城編集長が選ばれることもあったかもしれないが)、ほとんど季語だったということです。
【ただ、先生のお話では「先日京都のある句会に季語や物を持ってきた人がいて、骰子を見たときに<骰子の一の目赤し春の山>が生まれたのですよ」と、おっしゃってました。吟行の場合はその日に出会ったものを大事に。兼題の場合は、季節の先取りというか、やや早い目の季語に取り組み、その季語を手掛かりに、過去の経験や記憶をひっぱり出すというやり方、即ちその季語に出会わなければ、古い記憶の底に埋もれていたものを、臨場感をもって描き出す、そんな教えでした】(榎本享談)とのことです。
爽波のお弟子さんの西野文代さんも季語以外の兼題を出させます。「ほ」という兼題が出た時に享さんが詠んだ句で、わたくしの愛誦句があるので御紹介します。
はの行のおしまひはほよ桃の花 享
骰子。おもしろいエピソードですね。
季題や嘱目から「骰子の一の目赤し」は出そうにありません。
モノを題にするのは一度やったことがあります。
あ、はい、僕が編集長をしていた一年ちょっとは、僕の下宿に田中裕明と上田青蛙が転がり込んできて、飲みながら、兼題を考えたものです。
作りやすい季語、作りにくい季語とか、
一見良さそうだけども、まぁたいした句は出来ない季語とか、
あとから爽波が教えてくれるんです。
何度も呆れられました。
勉強になりましたなぁ……
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