〔人名さん〕
年始客
鬼太郎のような男で年始客 斉田仁
鬼太郎が人かどうかは別にして、俳句では口うるさいことをおっしゃる方がいるもんで(ここ、落語風に)、固有名詞はいけねえ、人名なんぞもってのほか、てな調子で、他人様が好きで捻る句に、なんやかんやと難癖・御助言をくださる。飲み屋街を歩けば「先生」「社長」」とやたら声がかかるが、社長はともかく俳句世間ほど先生様の多いところもございませんですよ、ええ。
と、まあ、与太はこれくらいにして、実在・架空を問わず人名の入った句を取り上げるのが新シリーズ〔人名さん〕です。そんな俳句は外道俳句とおっしゃる方は怒りながら、そうでない方は心穏やかに読んでいただければ幸いです。
さて、年始。
昭和戦後は、親戚への挨拶よりむしろ商売・ビジネスがらみの「年始まわり」が目立つように思うのですが、どうでしょう。上司の私宅への年始、それから仕事始めの数日を得意先への年始にあてるとか、ですね。『大衆文化事典』(弘文堂1991)によれば、江戸末期から明治には、商家の主人が使用人を伴って年賀に歩いたといいます。
「鬼太郎のような男」は、なぜかは知りませんが、ひとり、のような気がします。玄関に出てみると、ぼそっと突っ立っていて、ああ、今年も来たか、なんて。
親戚の感じはしない。会社の部下のような気は、少しはしますが、ちょっと違う。不思議な知り合いというのが誰にもあるもので、この人は、そのたぐい。一年に一度、この年始のときだけ、顔を見る感じです。
御年始の返事をするや二階から 小林一茶
年始は、目下が目上を訪ねるものと、一茶(1763-1828)の時代から決まっていたようです。
(さいばら天気)
2010年1月6日水曜日
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