冬の部(一月)小豆粥
猫髭 (文・写真)
明日死ぬる命めでたし小豆粥 高浜虚子
今日は十五日、小正月で、餅を入れた小豆粥を食べる習わしがある。前の日から丁寧に灰汁抜きを繰り返す手間はあるが、余り甘くしないでいただくと、素朴な味でおいしく、「粥節句」という節目のようなものである。
『虚子編新歳時記』(三省堂)には、「十五日あづきがゆを煮て天狗を祭れば、年中の邪気を除く」という曲亭馬琴編『俳諧歳時記栞草』(岩波文庫)に載る「世風記」の古説を引いているが、屠蘇と同じで厄払いである。『栞草』には「冬至粥」として「赤豆の粥」も出ており、こちらは中国の歳時記を引くが、これも厄払いである。
山本健吉編『最新俳句歳時記』には、「粥占(かゆうら)」という粥箸(「粥杖」)で、小豆粥をかきまわしてその年の豊作を占うとあり、また、新嫁の尻を叩くと子に恵まれるというので「嫁叩き」という風習もあったそうな。この粥に入れた餅を「粥柱」とも言うとあり、大正九年の虚子の掲出句とともに、原石鼎最晩年昭和二十六年の、
鵯鳴いて相模は晴れぬ粥柱 原石鼎
という大きな句が並んでいる。
角川文庫の『俳句歳時記第四版 新年』(俳人への全国雑煮アンケートが付録で付いていて楽しめる)には、「十五日粥」を竪題として「小豆粥」は横題になっており、満月の日の粥という意味で「望の粥」とある。で、今宵はというと、真っ暗の朔の月である。実は今年は元旦4時13分が満月で、かつ月食(交食)だった。つまり、今年は「望の粥」ではなく「朔の粥」を食すことになる。こういう変なことになるのは、新暦だからである。月の満ち欠けを元とする旧暦ではありえない。
小正月の日に小豆粥の虚子の句を引いたのは、「小正月」の句を引こうとして、どの歳時記にも「小豆粥」は小正月に食すとあるのに、『虚子編新歳時記』には「小正月」が出て来ないため、不思議に思って調べた結果でもある。驚くべき事に「正月」もない。
虚子の俳句革新は、「雑詠」という名の元に自由にあらゆるものを詠ませる闊達さを当時の俳人たちに与えたと同時に、虚子は『虚子編新歳時記』を昭和9年に世に問うことによって、新暦に添って、歳時記から春夏秋冬も撤廃し、時候・天文・人事等の区分けもなくし、現在の一月から十二月までのすべての移ろいを詠める新しい季題へと革新することも試みたのである。『虚子編新歳時記』の表紙には「花鳥諷詠」と大書されているが、虚子の「花鳥諷詠」というのはそういう自然も人事も区別なく詠むということに他ならない。
「風雅におけるものの造化(天地・宇宙・自然)にしたがひて四時(四季)を友とす。見るところ花にあらずといふ事なし。おもふところ月にあらずといふ事なし」(『笈の小文(おいのこぶみ)』)という芭蕉の言葉を、つづめて「花鳥諷詠」と言っただけなのだ。
掲出句には、一休宗純(立川談志師匠にそっくり)の「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という風狂はない。どちらかというと子規の『病牀六尺』二十一の、
余は今まで禅宗のいわゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合でも平気で生きて居る事であつた。に連なる諷詠である。掲出句の出典は昭和七年版『ホトトギス雑詠全集十二』。
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