秋の部(九月)無月
猫髭 (文・写真)
かけてある芭蕉の文(ふみ)も無月かな 加藤霞村 昭和8年
女傘さして出でたる雨月かな 加藤霞村 昭和8年
那珂湊のわたくしの実家の風呂場は、中秋の名月を見るために建てられた、わけではないが、戸を開けると、湯舟に背を凭せながら、昨晩9月21日は、待宵(まちよい)の月と左下に木星が綺麗に見えて、月見風呂を楽しめた。
今日22日は十五夜だが、昨日のNHKの天気予報ではお天気お姉さんの半井小絵(なからい・さえ)が「関東地方も明日は夜から雨になるでしょう」と言っていたが、那珂湊は朝から雲ひとつない32℃の真夏日だった。午後2時過ぎから涼しい海風が吹き始めたので、乾物ネットに秋鯖と烏賊を開いて軒先に吊るすと、いい塩梅に日差しと風が交差して、3時間ほどでしっとりと干し上がった。夕方になると平磯の山の方から雲が低く走り出し、海鵜や海猫や鴉も翼を広げたまま横ざまに滑るように塒へ飛んでいった。西日避けの麻簾を吹き上げる風は、紛れも無い秋風の肌触りだったが、日没には野分のように強くなり、雲も厚くなって夜の色を刷いた。
満月は明日「彼岸中日」23日の「秋分の日」の18時17分だが、陰暦8月15日は今日9月22日に当る。『源氏物語』の「夕顔」に「八月十五日、隈なき月影」とあるのは古来よりの美意識で、清少納言は、それを踏まえて、「秋は夕暮」と新しい美意識を打ち出したが、それに対して「月はくまなきをのみ、見る物かは」と異を唱えたのは兼好法師で、『徒然草』の百三十七段に、
望月のくまなきを千里(ちさと)のほかまで眺めたるよりも、暁近く成りて待ち出でたるが、いと心ふかう青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、又なくあはれなり。椎柴、白樫などの、濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらむ友もがなと、宮恋しう覚ゆれ。すべて、月花をば、さのみ目にて見るものかは。と、源氏の「隈なき月影」を真っ向から批判している。この辺が清少納言の、腹の中では紫式部と張り合っても、面には出さない雅さとは異なる兼好法師の一言多いところで、本居宣長が「後の世のさかしら心のつくり風流(みやび)」と『玉勝間』で扱き下ろす所以だが、この大国学者も私生活は、懸想していた女が寡婦になるや、長年連れ添った女房を離縁して再婚するという下種野郎だから、どっちも性格は好いほうではないので、後世の我々は「月」に対する美意識を立体的に、それぞれの月齢の趣きを楽しめばいいということになる。
お天気お姉さんの言葉に違わず、那珂湊は深夜1:30から雨になった。冒頭の叢雲の月の写真は、21:00頃の、風の押し出す叢雲のつなぎ目に、一瞬垣間見えた名月で、後は無月だったので、掲出句は無月の句を挙げてみた。この辺がインターネットの臨機応変なところで、総合俳句誌だと二ヶ月も先に名月を詠むから、全国的な土砂降りでも皓々と隈なき月が出ていたりする。
加藤霞村(かとう・かそん)は名古屋の俳人で、弟の俳人加藤かけい(註1)と名古屋ホトトギスを結成した。『牡丹』主宰。句集に『游魚』 (昭和21年)がある。
『ホトトギス雑詠全集』を調べた限りでは、霞村は「隈なき月影」を詠んでおらず、「無月」と「雨月」の闇夜ばかり詠んでいる。名古屋俳壇の重鎮だが、面白い俳人である。掲出句の「無月」の句は、爽波も九月の秀句として抜萃しているが、「芭蕉の文」がわかりづらい。というのは、「無月」に関する文を芭蕉が残していて、それをかけてあると読めるが、「無月」は虚子以前に例句も和歌も見当たらず、虚子が流行らせた季題かもしれないと思えるからだ。
「雨月」の句は、「雨の月」として、芭蕉がまだ「伊賀松尾氏宗房」の作者名を名乗っていた頃の寛文9年(芭蕉26歳)に「かつら男すまずなりけり雨の月」があるが、「無月」という季題は見当たらない。虚子は「無月といへば雨月をも含んだ広い意味になる」と解説しているが、当時はそういう即物的な言葉ははばかられていたのではないかと思われる。紫式部の「隈なき月影」の美意識から言えば、「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな 紫式部」(『新古今和歌集』)というように、「雲がくれの月」と婉曲に言うはずであり「無月」という即物的な言い方は忌むと思われる。
芭蕉の文で、今年のように待宵が「月殊に晴たり」と言えて、十五夜が「雨降る」という記述は『おくのほそ道』の最後「名月は敦賀の湊にと旅立つ」に出て来る。「月清し遊行(ゆぎやう)のもてる砂の上」と詠んだ待宵の月に「あすの夜もかくあるべきにや」と宿の亭主に問えば「越路の習ひ、猶明夜の陰晴はかりがたし」と言われて、果たして雨が降る。
名月や北国日和(ほくこくびより)定(さだめ)なき
と芭蕉は詠んで、婉曲に無月を表わしている。
かけてある芭蕉の文も無月かな
もまた、その伝で行けば、無月と詠んで名月を詠んでいるわけである。
(註1)冨田拓也『俳句九十九折』「俳人ファイルⅩⅩⅨ 加藤かけい」
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