2013年3月1日金曜日
●金曜日の川柳〔小島蘭幸〕樋口由紀子
樋口由紀子
恐ろしい人がいっぱいいた昭和
小島蘭幸 (こじま・らんこう) 1948~
一読したときはえっと思った。昭和はそんな時代だったかなと考えた。が、深刻にとらえる必要はない。だって、川柳なんだから。
昭和をあらためて振り返るといろいろな出来事があった。それに付随して、様様な人がいた。思い起こすのは話題になった、目立ったものばかりである。その中には確かに恐ろしい人もいた。同時に魅力的な人もおもしろい人もいっぱいいた昭和だった。〈昭和を語る会など作りたき雨よ〉、蘭幸は昭和をこのようにも詠んでいる。
平成もいろいろな出来事がすでに起こっている。また、これから何が起こるがわからない。平成には恐ろしい人が出てこないようにと希望を込めて書いたのだろうか。それとも平成にはもっと恐ろしい人が居ると皮肉っているのだろうか。
小島蘭幸は日本で二番目に大きい結社の「川柳塔」の主幹である。川柳塔は麻生路郎が興した「川柳雑誌」のながれにある。
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2 件のコメント:
川柳には疎いので毎号楽しみに勉強させてもらいながら読んでいるのですが、今回は?と思いました。「恐ろしい人」というのをそのまま凶悪なる人物ととらまえるのか。川柳は「穿ち」が味わいと考えるので、わたくしには狭義では、今から見れば桁外れに「魅力的な人もおもしろい人もいっぱいいた」「柳壇の大物」、広義では「昭和の大物」を作者は穿って、自分にとっては「恐ろしい人」と懐かしんでいるのではないかと思えたのです。つまり、平成は何でも小粒になったなあ、という「穿ち」です。
理由は二つ、ひとつは俳句には、
怖い人みんな逝きたる年忘 亀田虎童子
という句があり、この場合の「怖い人」は、自分より目上の睨みを利かせていた「俳壇の長老たち」を含むユーモラスな、また氏の師である瀧春一を偲ぶ、それでもながらえている虎童子の自嘲を含む諧謔が「年忘」という季題にあるからです。
もうひとつは、〈昭和を語る会など作りたき雨よ〉と作者が懐かしさを込めて詠んでいることで、作者の世代なら若い頃に日本では新宿騒乱罪当時の世界中が沸騰したあの時代を体験していることで(わたくしもその渦中にいました)、「恐ろしい人」というのは「昭和の天才たち」を含むのではないかという気がするからです。
エジプトのパピルスを解読したら、「今時の若いもんは」という慨嘆があったという古今東西の老人の繰言のカリカチュアではないでしょうか。
猫髭さま
確かに言われるとおりかもしれません。「恐ろしい」に過剰反応してしまったようです。ご指摘ありがとうございます。
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