2013年3月11日月曜日
●月曜日の一句〔照井翠〕 相子智恵
相子智恵
三・一一神はゐないかとても小さい 照井 翠
句集『竜宮』(2012.11 角川書店)より。
東日本大震災から二年が経った。掲句は被災した作者がまとめた震災詠の句集である。作者にとって予定外の第五句集となった。長くなるが、あとがきを引きたい。
〈戦争よりもひどいと呟きながら歩き廻る老人。排水溝など様々な溝や穴から亡骸が引き上げられる。赤子を抱き胎児の形の母親、瓦礫から這い出ようともがく形の亡骸、木に刺さり折れ曲がった亡骸、泥人形のごとく運ばれていく亡骸、もはや人間の形を留めていない亡骸。これは夢なのか? この世に神はいないのか? このような極限状況の中で、私が辛うじて正気を保つことができたのは、多分俳句の「虚」のお陰でした。〉
こうした過酷な状況下で作者が書いたのは、冒頭の句や〈寒昴たれも誰かのただひとり〉〈釜石はコルカタ 指より太き蝿〉といった句だった。
こうした句は、普通の状況なら「観念的」と評されてしまうかもしれない。被災していない者は残酷で、辛い目にあった者の句に、写真のような臨場感を求めてしまいがちだ。もちろんそういうタイプの作家もいる。そして作者のような力量ある俳人なら、ありのままの句を多く残すこともできただろう。現に〈春昼の冷蔵庫より黒き汁〉という淡々と写生しながら凄みの伝わる句を残している。
しかし作者は「虚」に救われた。あとがきを補助線とした読みは邪道かもしれないが、その祈りのような「虚」を経なければ昇華できないほどの苦しみを脇において、これらの句を評することが今の私にはできない。
〈双子なら同じ死顔桃の花〉発表当時も話題になった句だ。むごい事実でありながら〈桃の花〉の安らかさを同時に見る作者。桃の花の咲き乱れる天上で、安らかであってほしいと願う心。その「かろうじての正気」を保った虚実の混じった句を、二年後のいま、静かに読みたいと思う。
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