2013年3月13日水曜日

●水曜日の一句〔石原ユキオ〕関悦史



関 悦史








民草にティッシュを配る西日かな   石原ユキオ

ティッシュ配りのアルバイトも、相手を「民草」と呼べば、あたかも王族が御下賜の品をふるまっている風情。

頭の中では華やかな支配階層の人間として民に恵みをたれているのだが、「西日」のきつさが現実に引き戻す。

なまじ華やかな幻想が提示されてしまったがために、かえって生活のつらさが際立つと取るか、それとも、それをバネにしての『贅沢貧乏』じみた精神の貴族性が、負け惜しみなどではない余裕を持って立ち上がると取るべきか。

どちらが図でどちらが地なのか決定しがたい「ルビンの壺」のようで、読者の心理が試される句ともいえる。

しかし最終的に立ち上がるのは、見慣れたティッシュ配りのなりをして、いったい何を考えているのだという、奇妙な生き物じみた愛嬌なのだ。

そしてまたその奇妙さの中に、華やかさもさびしさも含まれる。

一人遊びの創造性をネタにしたボヤキ芸のようだが、その割には「民草に」と切り出し「かな」で止める句の立ち姿は丈高く、卑しさはない。


花森こま編『君住む街角』(2013.3 文學の森)所収。

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