2019年1月5日土曜日

●土曜日の読書〔とりぶえ〕小津夜景




小津夜景







とりぶえ


近所の人が、素焼きの鳥笛をあげるというので、のこのこもらいにゆく。

居間に入ると、ラベンダー色のクロスを掛けたテーブルに、鳥笛がふっくらと鎮座していた。頭には穴がある。ここから水を入れるの。水と息の量でいろんな歌ごえになるよ、とその人。試しに吹くと、ぴーろぴろぴろろろんっと意表をつく大音量だ。室内だとうるさいから、浜辺で練習するといいと言われ、さっそく帰りしな海に寄り、鳥の気分でさえずりあそんだ。

浜辺から自宅に戻り、プーアル茶を淹れ、生涯の愛を鳥に捧げた中西悟堂の『フクロウと雷』(平凡社)をひらく。明治生まれの著者は、鳥といえば食うか飼うかだった当時の日本において、「野鳥」という言葉をつくり、日本野鳥の会を創立し、「野の鳥は野に」を標語に自然の中での愛鳥の思想を普及させた人物である。と、こう書くと見識ある趣味人っぽいが、実際の彼は人里離れて採集生活を送ったり、何十年も全裸で暮らしたりと、ごく標準的奇人なのだった。
仮眠の断続の間にも、ホトトギスが鳴き、フクロウが鳴く。やがてヨタカや慈悲心鳥の声が聞こえ、トラツグミのヒー、ヒョーが耳に伝わって、午前三時を過ぎ、四時が来ようとする。と、もう暁の小鳥たちの歌が始まるのだ。アカハラが何時何分、キビタキが何時何分、三光鳥が何時何分、ヒガラが何時何分、キジバトが何時何分、センダイムシクイが何時何分。(…)懐中電灯で時計を睨み据えながら、小鳥たちの朝起時間を記録してゆく。大切な記録だから、時計が狂っていては用をなさない。(…)これが早朝の仕事始め。
これはとある山の上で、赤犬の毛皮をかぶって寒さをしのぎながら鳥を観察したときの描写である。他にもカイツブリの観察のために十二時間も水の中でじっとしていたり、野営で幾日も絶食したりと苛烈な描写は枚挙にいとまがない。ちなみに水の中でじっとするには坐禅の素養が要る。さもないと、蚊も寄ってくるし、雨も降ってくるしで、必ず動いて鳥に勘づかれてしまうのだ。

次の日、仕事の帰りにまた浜辺に寄る。鳥笛を取り出し、練習をはじめると、近くを通りがかった犬がぴたりと足を止めた。

犬は鳥笛にじっと耳をすまし、大きくて静かな笑みを繰り返しこぼしている。幻のようなその表情を見て、「音楽」という語が登場する日本最古の文章が、ふと脳裏をかすめた--「天の鳥琴、天の鳥笛は、波に随ひ、潮を逐ひて、杵島唱曲(きしまのうたぶり)を七日七夜、遊び楽ぎ歌ひ舞ひき。時に賊党、盛りなる音楽を聞き、房(いへ)挙(こぞ)りて、男も女もことごとに出で来て、浜を傾けて歓び咲(わら)へり。

浜辺で笑いころげる賊党ら。夢とはこのようなものか。

もういちど、鳥笛を吹く。

犬が笑う。

笛の音は魂みたいに、ひょるるる、と空に吸われていった。


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