2025年9月26日金曜日

●金曜日の川柳〔榎本聰夢〕樋口由紀子



樋口由紀子





雷のお詫びのような虹の橋

榎本聰夢

雷が鳴ったら急いで家の中に入り、雷が鳴り終わったら、家々からは人が出てきて、よう光りましたな、これで少しは涼しくなりますなと口々に言いあった。さっきまで驚かせて、すいませんというように虹が出ている。それまでの雷の恐怖が吹っ飛んで、その美しさに見惚れた。のんびりとした、人柄がしみじみとでる、昭和の川柳である。よくないことが起こっても煽るのではなく、おだやかに済ませる。

しかし、令和の現在はもう、そんな悠長なことはいっておられなくなった。「お詫びのような」では済まないような半端ではない災害が次々と襲ってくる。猛暑、落雷、竜巻、地震、豪雨、線状降水帯、豪雪、突風と容赦がない。一瞬にして生活がひっくり返され、人間社会が叩きのめされる。暗い穴に吸い込まれていきそうである。

2025年9月24日水曜日

●西鶴ざんまい 番外篇28 浅沼璞

  


西鶴ざんまい 番外篇28
 
浅沼璞
 
 
大阪・鳥取と巡回し、「幕末土佐の天才絵師・絵金」展が漸う六本木・サントリー美術館にやってきました(9月10日〜11月3日)。


さっそく見に行ってきましたが、感想は後期の展示替えを待ってからとし、私事ながらこれまでの絵金体験をまとめておこうと思います。

1978年頃 大学の近世文学ゼミ担当の廣末保先生の著作『もう一つの日本美――前近代の悪と死』(美術出版社)により絵金の存在を知る。

その後、バイト代をためては絵金関連の書籍を古本屋にて求める。廣末先生が編纂された未來社のものや月刊パンチSMの増刊号など諸々。

1995年夏 高校教師として忙殺されていた折、新潮社のとんぼの本『絵金と幕末土佐歴史散歩』を図書室で手に取り、久々に耽読する。

土佐の夏祭りに飾られる芝居絵屛風の現況のほか、笑い絵の多様な面白さも知る。

2005年頃 フリーの教師・フリーチャーとして気ままな生活を送る中、かつて入手を諦めていた限定500部の豪華本『絵金 EKIN』(光潮社)の一冊を渋谷の某古書店で発見。手持ちがなかったので取り置きしてもらい、後日購入。

尚その際、店内にいらした詩人の百瀬博教氏に話しかけられ、しばし絵金談義。それを機に(急逝されるまで)交流して下さった。これも絵金さんによる御縁。

2010年秋 板橋区立美術館「諸国畸人伝」展にて播州皿屋敷・鈴ヶ森・累(かさね)等の代表的な芝居絵屏風を初めて実見する。

しかしボストン美術館の浮世絵なみの修復が施されており、西鶴に通じるあの滑稽さや、鶴屋南北に通じるあの野卑な感じが薄れ、極彩色豊かな修復屏風に興覚めの感なきにしもあらず。

以降、絵金への興味は正直うすれ、今回の巡回展にも不安がなかったわけではありません。ありませんが、大阪・鳥取では展示方法や照明に工夫があったとの由、伝え及び、ひそかな期待を胸に、東京での大規模展に臨んだわけですが、詳細は次の番外篇にて暫し/\。
 

2025年9月19日金曜日

●金曜日の川柳〔妹尾凛〕樋口由紀子



樋口由紀子





どんなナムルな日曜でしたか

妹尾凛(せのお・りん)1958~

「どんな」は連体詞で名詞につける。「この」「そちら」「あの」と同様に読み手に想像を預けることのできる都合のいい言葉である。「ナムル」の種類はいろいろあるが、味付けはナムルであり、それほどの変わりない。しかし、「どんなナムル」と問われれば考え込んでしまう。

「ナムル」から「日曜」に繋がる構成で、「日曜でしたか」と畳みこむことによって、「どんなナムル」は喩としてのはたらきを発揮する。「ナムルな」の「ナ」と「な」の音感で挟み合っているのもいい。「日曜ですか」とすれば七七に収まるのに、「でしたか」と七八で、過去形にして、雰囲気を替える。意図的なのか、無意識なのか。心情の出し方が微妙である。

2025年9月12日金曜日

●金曜日の川柳〔飯田良祐〕樋口由紀子



樋口由紀子





稲刈りが始まる通天閣展望台

飯田良祐(いいだ・りょうすけ)1943~2006

もうすぐ、近隣の田畑のあちこちで稲刈りが始まり、秋を実感する。しかし、「通天閣展望台」で稲刈りが始まることはない。通天閣は個性的なかたちをしていて、大阪を眼下に一望している。ジャンジャン横丁から見上げる通天閣展望台でたわわに実った稲穂が刈り取られていくのを実景として作者には見えるのだろうか。舞台装置は完璧である。

この世にはいくら待っても始まらないものがある。「始まる」ことのないことを「始まる」というのはかなり屈折していて、話が変わっていくが、新らたな関係性を見出していくようでもある。喜怒哀楽では括り切れない心情を垣間みせる。天に通じる塔の稲刈りが終わったあとの視線の行方が気になる。『実朝の首』(2015年刊 川柳カード叢書)所収。

2025年9月10日水曜日

●西鶴ざんまい #83 浅沼璞

 


西鶴ざんまい #83
 
浅沼璞
 
 
  初祖達广問へど答へぬ座禅堂  打越
   今胸の花ひらく唐蓮     前句
  蟬に成る虫うごき出し薄衣   付句(通算65句目)
                 『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・裏1句目。 裏移り。 夏=蟬  虫=ここでは蛹のこと。  薄衣(うすごろも)=薄く透ける蟬の羽を衣に譬えた言い方。蟬の羽衣は夏衣のこと。「ひとへなる蟬の羽衣夏はなほうすしといへどあつくぞありける」(後拾遺・夏)

【句意】蟬の幼虫が動き出し、薄い羽衣を現す。

【付け・転じ】前句の「胸の花ひらく」という悟りの形を蟬の脱皮・羽化に取成した。

【自註】つら/\世のありさまを見るに、池水(いけみづ)にすみし*屋どりむしといへる物、おのが衣を時節とぬぎて蟬になれる。此の**生を替へし所は、其のむしも胸のひらくに同じ。蟬の衣をぬぐは、秋になれり【諸註】。***屋どり虫、蟬になる時は夏なれば、是を****荷葉の付け合に出だしぬ。此の句は*****意味計也。
*屋どりむし=宿り虫。幼虫のことで「池水」は「地中」の誤り。  **生(しやう)を替へし所=蛹から成虫にステージが替わるところ。 ***屋どり虫、蟬になる時=原文は「屋とる虫蟬なる時」(定本全集・日本古典読本Ⅸ)  ****荷葉(かえう)=蓮の葉。ここでは蓮そのもののこと。  *****意味計(ばかり)=内容主義の心付・心行(こころゆき)のみの付け。よって縁語による詞付は皆無という意。

【諸註】蟬の衣をぬぐは、秋になれり=「蟬が衣を脱ぐのは秋の季節に属するものである」(『譯註 西鶴全集』藤井作・訳)。定本全集や新編日本古典文学全集の語註でも、おなじく「蟬が衣を脱ぐ」と解し、「連俳ともに夏で秋は誤り」とする。愚生もその通説に従って本稿の下書きをしたが、以下の「若之氏メール」により改稿した。

【若之氏メール】……「蟬の衣を脱ぐは」の「の」を主格の「の」だとすると、後ろの文とあまりにも辻褄が合わないように思います。調べてみると、「蟬の衣(きぬ)」に「蟬の羽衣=薄衣」の意味があるようなので、「(人間が)薄衣を脱ぐのは秋になってからである」ということではないでしょうか。人間が薄衣を脱ぐのは秋だけど、蟬が薄衣を脱ぐのは夏だから、その脱ぐさまを蓮と同季の付け合いとして出したのだ、というような趣旨ではないかと。

【考察】諸註の解は、そこまでのコンテクストが蟬(蛹)を主語としており、その流れで「蟬が衣を脱ぐ」と解したのであろう。季の誤りは「池水」に同じく西鶴によくある誤謬ととらえたまでであろう。しかし若之氏の解における主語の省略や変化もまた西鶴によく見られる傾向である。しかも若之氏の解は、後続のコンテクストに配慮してのものである。よってここでは若之氏説を参照のうえ、以下の意訳を試みた。

【意訳】よくよく世の有り様をみると、池の水に棲む宿り虫というものは、時節がくれば(自然と)自分の外皮をぬいで蟬になる。この蛹から成虫に替わるところは、(前句の)胸がひらくさまと同じである。(一般に人が)夏衣を脱ぐのは秋になってからである。(けれど)宿り虫が蟬になるときは夏なので、これを蓮と同季の付合として出した。この句は意味内容だけで付けてある。

【三工程】
(前句)今胸の花ひらく唐蓮

宿り虫生を替ふべき時節にて  〔見込〕
   ↓
  蟬に成る虫うごき出す時節にて 〔趣向〕
     ↓
   蟬に成る虫うごき出し薄衣   〔句作〕

前句の胸開く悟りのさまを脱皮と見なし〔見込〕、〈どのような虫か〉と問うて、蓮と同季(夏)の蟬の羽化とし〔趣向〕、「薄衣」という比喩でまとめた〔句作〕。