『俳句界』2009年2月号を読む〔下〕
五十嵐秀彦
≫承前
●さいばら天気「引用のルールとマナー」 p40-さいばら氏は「引用」に限定することで複雑な問題を単純化し、「俳句の著作権」の有無という点をたくみに避けて、最近目にあまるインターネット上の文芸作品引用のマナー違反に警鐘を鳴らしている。
なるほどたしかに第三者チェックのない、あるいは発表者に第三者の存在が見えにくいインターネットでは、しばしば引用のマナー違反が見られる。
今、現実的なことを考えれば、俳句の著作権などという答えの出ない議論に付き合うより、ネットにおけるマナーの問題を整理することのほうがよっぽど有用なことだろう。
そしてそれは、ネットの問題と言うよりは、《紙とネットの違いではなく、書き手によるところが大きい》わけで、書き手が他の作者への敬意をきちんと持てる大人であることが求められている。
確かに大人になれていない書き手が多いよなぁ、と自戒とともに思うのだった。
●座談会「俳句表現のオリジナリティ」 p44-
座談会としては5人というのは少々多すぎたのではないか。
実際にはもっと突っ込んだ議論があったのかもしれないが、まとめられてものは各自がそれぞれ自分の意見を表明しただけで終わっているという印象。
五島「添削に関する裁判で言えば、文学上の問題を法廷に持ち込むこと自体無理があると思います。裁判官はおそらく近代文学における”個”というものを基準に判決を下しているのでしょう。ところが、これは個人的意見ですが、俳句は近代文学ではない」
筑紫「そもそも文学、文芸の概念は、明治時代に外国から輸入されたものですから、短歌や俳句にはすべて当てはまりませんよ」
座談会の終盤での両氏の発言は、私も同意見であるので強く共感したが、上記の発言の前に《俳句に著作権がある、というのは大前提だと思う》と発言している中嶋鬼谷氏が両氏の意見にどのような感想を持ったのか、できれば知りたいところであった。
結語で栗林浩氏の言った「コピーレフト」という言葉は面白いと思う。その意味を知りたい人は、ぜひ本文を読んで確かめていただきたい。
1 件のコメント:
拙記事、読んでいただきありがとうございます。
マナー違反というと、引用を躊躇する方がいらっしゃらないとも限りませんが、そうではなく、要は…
●引用/参照は自由。本人に伝える必要もない。
●引用元・参照元(著者名・書籍名・記事名、ネットならURL)の明記が必須。この部分に不備が多い(俳句関係は紙・ネットともに)。きちんと記しましょうよ。
…という話を書きました。
蛇足ながら。
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