2010年4月9日金曜日

●ホトトギス雑詠選抄〔13〕桜餅・上

ホトトギス雑詠選抄〔13〕
春の部(四月)桜餅・上

猫髭 (文・写真)


君還るなかれ燈火の桜餅 岩木躑躅 大正10年

桜の季節になると、町の和菓子屋には桜餅が並ぶ。わたくしは東男なので、桜餅と言えば長命寺(ちょうめいじ)餅だが、家内は京女なので、桜餅と言えば道明寺(どうみょうじ)餅である。したがって、我が家では長命寺餅と道明寺餅を両方買って来る。桜湯などを飲みながら、「とりわくるときの香もこそ桜餅 久保田万太郎」(昭和24年『冬三日月』)などと桜餅をつまむのも、団欒のひとときだろう。久保万さんは浅草生れだから、この桜餅は勿の論で長命寺餅である。蓋し、名句である。写真は鳩サブレーが有名な鎌倉「豊島屋」の桜餅。

長命寺餅というのは、虚子編『新歳時記』の「桜餅」の記述通りで「桜の葉で包んだ餅で、江戸時代から向島長命寺畔の茶亭の名物となつてゐる。餅は桜色と白とあり、塩漬の桜の葉の香がする」。今でも風流な竹編みの籠に入れて出される。山本健吉もそれに倣う。

道明寺餅に触れているのは、『カラー図説日本大歳時記』の水原秋桜子。「京阪では概ね道明寺糒(ほしい)を蒸しそれで餡を包む」。京の「鶴屋吉信」の道明寺が有名だが、見た目は『源氏物語』にも出て来る「椿餅(つばいもちい)」の椿の葉を桜葉に変えて、道明寺粉を細かく砕いて揉んで(でっちる、と言う)桜色に着色して蒸しあげたのに近い。『角川俳句大歳時記』の池田澄子は双方に目配りが効いた解説を載せている。「大雑把に分けて、関東風の小麦粉の薄焼皮で餡を巻く桜餅と、関西風の道明寺がある。有名な長命寺の焼皮桜餅は三枚の葉で平たく包む。道明寺は餅米を蒸して乾燥させ砕いた道明寺粉を蒸して作る。ともに薄紅色に作られ、塩漬けしたオオシマザクラの葉で包み葉の香りも楽しむ」。「豊島屋」の桜餅も長命寺だが、葉は二枚。

掲出句の桜餅は、これは道明寺の方が句に艶が出る。燈火に映える桜餅と言えば、艶天(つやてん。寒天を砂糖・水で溶かしたもの)を塗って照りを出した道明寺だろう。向島の元祖桜もち「山本や」の長命寺は、三枚の大島桜の大葉で包まれているので餅は見えない。

うら若き女性を引き止める艶ある句とも、桜餅で酒を酌み交わすような甘党の友への呼びかけ、あるいは下戸の甘党の友とも取れる。蓋し、道明寺餅の名句である。わたくしは甘党辛党味道に変りはあるまじきものなりという両刀遣いの呑助なので、こういう句が短冊で飲み屋の壁にでも掛かっていると嬉しくなる。甘味処に掛かっていても、ちょいと辛口の酒が呑みたくなるような句ではある。

実は、わたくしはこの句の短冊を持っている。短冊では「君還るなかれ燈火のさくらもち 躑躅」と座五はひらがな表記になっている。書家でもない俳人の短冊を集める趣味は毛頭ないが、単純にこの句が好きなので欲しかったのである。久保万さんの「とりわくるときの香もこそ桜餅」もあれば欲しい。これらの句は、芸術としてガラスの向うに飾られる句ではない。小料理屋の壁にちょろっと掛かっていて、大ぶりの盃を口から迎えに行こうとして目に止めると、ちょいと酒がうまくなる、そういう句である。で、この原稿は、酒家と化した書斎の壁に掛かった短冊を見ながら、鎌倉「豊島屋」と逗子の「長嶋屋」の長命寺を交互にぱくつきながら、安いが旨い菊正宗樽酒720mlの壜を手酌で、ぐびっと楽しんでいるところである。虚子の俳句の師である正岡子規は、河東碧梧桐によると「病人でなかった昔から、のぼさんは下戸だった。酒の味、というものを知る機会なしだった」と書いているから(註1)、下戸の知らぬ取り合せだろう。ふふ、なかなか合うよ、のぼさん。

作者は、岩木躑躅(いわき・つつじ)。明治14年~昭46年。兵庫県淡路島生。本名喜市。上京1年で接骨医だった父の死に会い帰郷。神戸にて接骨医を開業。俳句は上京後高浜虚子を知り『ホトトギス』同人となり、さらに課題句の選者となった。関西俳壇の長老として活躍。大正7年虚子選『躑躅句集』。昭和55年虚子選年尾選『躑躅句集』。

(明日につづく)

註1:河東碧梧桐『子規を語る』付録「のぼさんと食物」(岩波文庫)。

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