ホトトギス雑詠選抄〔14〕
春の部(四月)春の宵・上
猫髭 (文・写真)
春宵やぶらりとうまいもの小路 安達電々子 昭和9年
春宵や駅の時計の五分経ち 中村汀女 昭和10年
いつも来る坊主出て来よ春の宵 藤田耕雪 昭和10年
猫眼石又出して見る春の宵 同上
手の中に寝たるインコや宵の春 同上
小判持て金借りにきし宵の春 桑田葦城 昭和12年
「春宵一刻値千金」の春宵である。
春宵一刻 値 千金
花に清香有り 月に陰有り
歌管 楼臺 聲 細細
鞦韆 院落 夜 沈沈
春夏秋冬、毎日宵はあるが、「春の宵」が際立つのは、この北宋の詩人、蘇軾(そしょく)、号は蘇東坡(そとうば)の七言絶句「春夜」が人口に膾炙していたが故である。と言っても、今週の春は、毎日温度差が20℃近くある、今日は夏、明日は冬、明後日は夏、足して3で割って春という、三寒四温どころか一寒一温のような春で、今日は悴んで「何もかも知つてをるなり竈猫 富安風生」、明日は汗だくで「しまうまがシャツ着て跳ねて夏来る 富安風生」、明後日は着ぶくれて「冬ざるるリボンかければ贈物 波多野爽波」といった塩梅である。
今日15日(木)は谷戸は一日中小糠雨で、「街の雨鶯餅がもう出たか 富安風生」と、のほほんとするには8℃で、鶯も亀も鳴かずと引っ込む寒さ、階下はストーブを焚いて中村屋の肉まんを蒸している。わたくしの二階の書斎はと言えば、夏は暑い冬は寒いの当り前という俳人の端くれなので、四季の移ろいを肌身で感じるために冷暖房などないから、窓も開けているので外気と同じ8℃のままである。夕方に雨が止んだので葉桜の下を歩いてきたが、これは「春の宵」というよりも「冴え返り冴え返りつゝ春なかば 西山泊雲」だろうなと感じたが、「冴返る」では二月の季題に季もどりしてしまう。かと言って「花冷」は桜が咲く頃の冷えを言うので、今年の春の冷えは歳時記の追いつけない寒さということになるだろう。言葉の後から文法が生れたように、自然の後から歳時記がついて来るというわけだ。歳時記とは文法と同じでストーカーのようなものだ。前に立たれるとウザイ。
しかし、作品を味わうのに春も冬もない。春の句は春しか味わえないとしたら、人間に想像力があることを忘れている。詠む場合は別である。俳句は今を詠むものだからだ。勿論、真冬に真夏の句がどかんと来てしまうことはある。これも想像力のなせる技である。ただ、来たからと入道雲の句を新年句会で出したら、馬鹿と言われるので、発表するかどうかはまた別問題である。
掲出句は、「春の宵」の中でわたくしが好きな句である。見ればわかるように、「ホトトギス」の「客観写生」「花鳥諷詠」とは、言い換えれば「自由闊達」とシノニムである。
安達電々子(註1)の「うまいもの小路」。日本中の酔いどれ横丁が結集したような見事なネーミングである。
中村汀女(註2)の絶妙な「五分」の「春宵」との響き愛。おお、ナイスな誤植!
藤田耕雪(註3)の坊主めくりのような坊主に、珠玉の猫眼石に、手の中で眠るインコ、実に多彩。
桑田葦城(註4)の金借りに行くのに「小判」持ってくって、なによ。実に面白い。
「春の夜」の季題には、
春の夜や岡惚張をふところに 竹田小時 昭和9年
という句もある。「岡惚張」が面白い。「春宵」よりも「春の夜」の更けた感じをよく出している艶な粋句である。竹田小時(たけだ・ことき)は新橋の芸妓で常磐津の名手。
波多野爽波が、第一句集『鋪道の花』に書いたように、
写生の世界は自由闊達の世界である。
註1:安達電々子(あだち・でんでんし)。名古屋の俳人。詳細不明。
註2:中村汀女(なかむら・ていじょ)。明治33年~昭和63年。熊本県熊本市江津生。本名破魔子。大正7年熊本県立高等女学校卒、18歳で詠んだ「吾に返り見直す隅に寒菊紅し」が虚子に認められ「ホトトギス」へ投句開始。昭和9年ホトトギス同人。昭和22年に「風花(かざはな)」創刊・主宰。星野立子・橋本多佳子・三橋鷹女とともに4Tと呼ばれた。句集『春雪』『汀女句集』『春暁』『半生』『花影』『都鳥』『紅白梅』『薔薇粧ふ』『軒紅梅』『汀女全句集』他。秀句数多。以下、よく引かれる七句。
とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな
中空にとまらんとする落花かな
秋雨の瓦斯が飛びつく燐寸かな
ゆで玉子むけばかがやく花曇
あはれ子の夜寒の床の引けば寄る
咳の子のなぞなぞあそびきりもなや
外にも出よ触るるばかりに春の月
註3:藤田耕雪(ふじた・こうせつ)。明治13年~昭和10年。阪神財閥の一つ藤田財閥創始者の藤田伝三郎男爵次男。本名は徳次郎。ニューヨー ク大卒。藤田組副社長、藤田鉱業社長。高浜虚子に師事。句集『耕雪句集』。
註4:桑田葦城(くわた・いじょう)。呉警備戦隊所属とのみ。詳細不明。
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