2010年4月17日土曜日

●ホトトギス雑詠選抄〔14〕春の宵・下

ホトトギス雑詠選抄〔14〕
春の部(四月)春の宵・下

猫髭 (文・写真)


虚子編『新歳時記』の「春の宵」(三春)には「春の日が暮れてまだ間もない宵のほどで、秋の夜などとちがひ、どことなく若々しい和やかさ、明るさ、媚めかしさがあり、色彩的な感じにみちてゐる。魅惑的な歓楽的な淡い感傷が漂うてゐるやうにも感じられる。春宵。宵の春」とあり、「春宵一刻値千金」で始まる蘇軾の七言絶句『春夜』を下敷きに解説を書いているが、蘇軾の「春宵」は「宵のほど」ではなく「夜」の意である。この詩は、集外詩であったため、他の編本で表記が異なり、ために解釈が分かれている。南宋の宋謝枋得(しゃぼうとく)編『千家詩(せんかし)』と魏慶之(ぎけいし)編『詩人玉屑(ぎょくせつ)』では、後半二句が異なる。↓()内が編本。

  歌管 樓台 聲 細細(編本は寂寂)
  鞦韆 院落 夜 沈沈(編本は深深)

細細(さいさい)は「かぼそい」、沈沈(ちんちん)は「重たげなさま」の意で、宵の口まで高楼から聞こえていた歌声と笛の音のにぎわいは夜になってかそけくなり、中庭で女たちが戯れていた鞦韆もいまや夜に沈むという風情である。
これが編本の寂寂(せきせき)だと「ひっそりとして聞こえない」、深深(しんしん)だと「夜がふけゆくさま」の意だから、歌も楽の音も絶え、夜は更けゆくという風情になる。小川環樹は細細と沈沈だが(『蘇軾』下巻)、一海知義は寂寂と沈沈を折衷して紹介している(『漢詩一日一首』)。

中国語の原音の響きがわからないので字義からの推測になるが、時間的経過では宵闇の余韻が風景に残るのであれば細細と深深ののちに、とっぷりと暮れて寂寂沈沈かなとも思える。だが、分かれるには分かれる理由があるはずだ。ここからは猫髭餘言(与太話)である。

蘇軾は政治的には保守派で、中国最高の政治家と言われる革新派の王安石が政敵であった。このふたりは吉川幸次郎によれば(『宋詩概説』)、「蘇軾は対立者である王安石よりも、十五年おそく生まれ、十五年おそく進士となり、更にまた十五年おそく死んでいる」という奇縁ともいうえにしだったが、双方、唐宋八大家と称えられる文人であり、王安石が絶句の名手であったことから(「千家の漁火 秋風の市 一葉の帰舟 暮雨の湾」なぞ、そのまま一幅の墨絵なり)、 文人としては互いに尊敬の念を抱いていた(清水茂『王安石』)。面白いことに、蘇軾の「春夜」と王安石の「夜直」は一双をなす屏風のように並べ賞され、春夜を詠じた詩では双璧と称せられていることが多く、確かにその七言絶句は見事に蘇軾の「春夜」に照応し、ここに編本の異同の謎を解く鍵があるようだ。

  金爐香盡きて漏聲殘し
  翦翦の輕風 陣陣の寒さ
  春色人を惱まして眠り得ず
  月は花の影を移して欄干に上ぼらしむ

どちらが本歌取りしてもおかしくないほど春の夜を歌って間断ない。
しかし、王安石が十五年の先輩として敬意を表すれば、蘇軾の絶句をコラージュすると、見事な七言律詩として蘇り、かつ、その場合は流れから、細細と沈沈ではなく、寂寂と深深でなければならないこともわかるだろう。

  金爐香盡きて漏聲殘し
  剪剪の輕風 陣陣の寒さ
  春色人を惱まして眠り得ず
  月は花の影を移して欄干に上ぼらしむ
  春宵一刻 値 千金
  花に清香有り 月に陰有り
  歌管 楼臺 聲 寂寂
  鞦韆 院落 夜 深深

黄金の爐に打ち薫じていた香も尽き、水時計にあわせて時を告げる太鼓の残響が夜更けのしじまに木霊するなか、薫風ひとしきり吹き寄せ、花冷えの夜冴えかえり、艶めく春の色は眠りを乱し、月も花影を欄干に押し上げる、その花の香、朧月の風情は千金にも替えがたく、宵の口まで高楼から聞こえていた歌声と笛の音のにぎわい途絶え、中庭で女たちが戯れていた鞦韆もいまや闇にしんしんと沈む。

蘇軾は、政敵だったが文人として尊敬する王安石に敬意を表して、後年寂寂と深深に推敲したと思うのが双方の詩をふくらませて楽しいと思う。

余談だが、春宵一刻の一刻は江戸時代には二時間を指し、値千金で一万両を意味したので、太田南畝こと蜀山人は、「一刻を千金づつにしめあげて六万両の春の曙」狂歌に仕立てた。其角も「夏の月蚊を疵にして五百両」と詠んでいる。

蛇足だが、値千金で思い出すのが、1928年にビング・クロスビーとホワイトマン楽団がヒットさせた、ひとりものを月光が慰める「月光値千金」という歌。日本ではエノケン盤やナット・キング・コールが奥さんのマリア・コールとデュエットした50年盤がヒットした。

 When you’re all alone any old night,
 And you’re feelin’out of tune,
 Pick up your hat, close up your flat,
 Go out and get under the moon.

という、聞けば年配者は誰でもわかるほど一世を風靡し、当時のゴールド・ディスクに輝いた。日本だと「月」と言えば秋だが、この歌は違う。それは、1958年のドリス・デイのキャピトル盤「月光値千金」を聞けばわかる。この歌はサビの最後のところが、

 Hey look look at the stars above,
 Look look look at those lovers love,
 Oh boy give me a night in June,

と歌うので、アメリカでは6月の初夏の月ということがわかる。このloversとa night in Juneの解釈が、6月の花嫁のたぐいで、ひとりぼっちの6月の夜なのか、昔はそんな夜もあったと、the beginning of summerへと約束された恋人がいて回想してるのか、思いは千々に乱れるのだが、コール夫妻が歌うと御馳走様ソングとなるから、まあ、いつでもええわい楽しければという歌ではある。

4 件のコメント:

ゆかり さんのコメント...

ジャズが好きな仲間うちでは、腹の虫がおさまらないことがあると「激昂値千金ですね」などと言ったものです。

猫髭 さんのコメント...

>激昂値千金

「ジャズが好きな仲間うちでは」・・・ゆかりさま、一体どの時代のジャズを聞いたらそういう地口が通ずるのでせうか。週俳オフ会でお会いできるのを楽しみにしております。猫めは今宵、学芸大学のジャズ・バー「A train」でジョニー・ホッジスのアルトで縦乗りして腰をガタガタにして帰ってまいりました。

ゆかり さんのコメント...

「どの時代」という区分でなく、Get Out and Get Under The Moonから音訳として「月光値千金」と導かれたことを感覚的に納得できる人には通じるようです。ジョニー・ホッジス、いいですねえ。久しぶりにブラントン・ウェブスター・バンドを引っ張り出してきて聴いてみます。

tenki さんのコメント...

月光値千金は、やっぱエノケンでしょ!