ホトトギス雑詠選抄〔13〕
春の部(四月)桜餅・下
猫髭 (文・写真)
≫承前
写真は、左から「豊島屋」の新作「さくらさくら」。塩漬の桜葉を刻み、紅餡に練り込み、羽二重求皮で包み上げ、桜の花びらの形にしつらえたもの。見た目は五弁の花弁が丸い箱に収まり綺麗だが、桜餅とは別物の創作菓子である。真中は逗子の「長嶋屋」の長命寺。クレープ型で、これが一般的な町の和菓子屋の桜餅だろう。右が道明寺。「豊島屋」でも「長嶋屋」でも作っていないので、柏餅がもう出たか、という季の早い逗子の「よしむら」で求めた。京の「鶴屋吉信」の道明寺ほどはんなりとはいかないが、関東もんがでっちるんや、堪忍したって。お値段は「鶴屋吉信」の半額で、おいしおまっせ。
西村睦子『「正月」のない歳時記』によれば、「ホトトギス雑詠選」では、大正2年から昭和9年の間に「桜餅」の句が129句採られている。それ以降の昭和20年3月までの句と合わせて虚子が最終的に残した「桜餅」の句は21句である。子規や漱石の甘党ぶりは読んでいるだけで胸焼けを起こすほど凄まじいが、鴎外の甘党ぶりも不気味なほどで(牡丹餅のお茶漬!)、当時は甘みを渇望していたのか、虚子も相当な甘党ではないかと思われるが、好き嫌いはあったような気がする。というのは、歳時記を見ると、「草餅」(蓬餅)「蕨餅」「鶯餅」「桜餅」「椿餅」と餅題五連発なので、さぞ甘党かと言うと、さにあらず、「鶯餅」は季題だけで例句がない。昭和16年の『ホトトギス雑詠全集』には「鶯餅」で3句採っており、富安風生の名句も含まれているというのに。
街の雨鶯餅がもう出たか 富安風生 昭和12年
これが虚子のツボに再選で入らなかったというのは不思議だ。虚子先生、鶯餅お嫌い?
「酒もすき餅もすきなり今朝の春」(明治26年)と詠んだ虚子だから好き嫌いはないように思えるが、「鶯餅」の季題では一句も詠んでいないので、どうして虚子好みと思われる風生の句を最終選で残さなかったかは、鶯餅が好みではなかったからと勘ぐるしかない。「鶯餅」の季題には「春出る餅菓子である。手にとればまぶした青黄粉がほろほろとこぼれる。黄粉の色から其名があるのであらう」と、実に素っ気無い。ちなみに「鶯菜」も季題だけで例句なし。俳聖芭蕉に「鶯や餅に糞する縁の先」という、これがほんとの鶯餅という駄洒落のような、しかし、芭蕉自身が「日比工夫之處に而御座候(このごろくふうのところにてござそうろう)」と会心の「軽み」とする句があるが、真に受けてトラウマになってるとか。ないか。
その代わり、「桜餅」は明治・大正・昭和を股に掛けて沢山詠んでいるし、沢山採り続けている。
桜餅が本当に好きな人は葉っぱも食べる人がいますと逗子の「長嶋屋」の女将が言っていたが、女将さん食べる?ぴょんぴょん。そうだよなあ、葉っぱは香り付けだもんなあ。
で、ここからは、虚子は桜餅の葉っぱを食べたかどうかという馬鹿話。
西村睦子『「正月」のない歳時記』は労作だが、誤植も多い(註2)。明治35年に虚子が初めて詠んだとされる「桜餅」の句は、明治37年の間違いだが、引用句も「三つ食へば葉が三片や桜餅」と、元句の、
三つ食へば葉三片や桜餅 虚子 明治37年
を誤引用している。それはさておき、
桜餅食うて抜けけり長命寺 明治39年
座の中に籠美しや桜餅 昭和3年
と長命寺の「山本や」の桜餅が虚子はご贔屓で、歳時記でも宣伝しているほどだから、よほど好きで好きで、
灯火の下に土産や桜餅 明治39年
ともし火にほのあかきこの桜餅 大正14年
半日を下げし土産のさくらもち 昭和3年
病よし主の土産(つと)のさくらもち 昭和9年
御仏にこれも供へぬさくらもち 同上
上海に来て月廼家(つきのや)の桜餅 昭和11年
桜餅女の会はつゝましく 昭和15年
桜餅籠無造作に新しき 同上
と、掲出句の躑躅の「燈火の桜餅」も虚子の明治39年の句を踏まえたオマージュだから嬉しくて、大正時代にも「ともし火」の桜餅詠んでいるし、土産は勿論さくらもち、病気も嬉しさくらもち、仏様へもさくらもち、上海の日本料亭行っても桜餅、句会でも桜餅と、虚子忌は桜餅忌とし、当然仏壇には長命寺を供えるのが一番虚子が草葉の影で喜ぶ供物ということになる気がするほどだ。
ここまで桜餅が好きだと、和菓子屋の女将が言った「本当に好きな人は葉っぱも食べる」という域まで虚子は行っているのではなかろうかと思えて来る。そうすると、日本で最初に詠まれた「桜餅」の句も違った目で読まなければならなくなる。
思い出してほしい。池田澄子の解説にはこう書かれている。「有名な長命寺の焼皮桜餅は三枚の葉で平たく包む」と。虚子の句を見直そう。
三つ食へば葉三片や桜餅 虚子 明治37年
つまり、三枚の内、二枚虚子は桜餅と一緒に毛虫のようにばりばり食べてしまったのである。本当け?(馬鹿話だから、そのつもりで)。三枚はさすがに筋が口にあたるから外側の一枚を外して上下の葉で挟んで虚子は食べたのであろう。全集にも、全句集にも、桜餅の葉っぱを食べたという句は載っていない。しかし、この明治37年の句は、【五月。「ホトトギス」第七巻第八号に「春雑詠」四十一句を載す。其うち】と後書が付いている。「ホトトギス」の中にありやなしや。ありました。
桜餅葉をなつかしみ食ふなり 虚子 明治37年
虚子も、
葉ごと食べよと桜餅食べる人 鷹羽狩行
でありしか。嗚呼。
註2:前回取り上げた春の部「花冷」には、泊雲の「木の芽時」の句が誤挿入され、「木の芽時」の項には、同じ句が虚子の句として誤記されている。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
2 件のコメント:
最近知ったことなのですが「草餅」圏と「鶯餅」圏があるということ、ご存知でしょうか。私は神奈川県に住んでいますが、隣の静岡県に行くと「草餅」は和菓子屋さんには無くて、きなこをまぶした「鶯餅」になります。
桜餅も道明寺も、最近では神奈川県では普通に見られるようになりましたが、静岡県は道明寺はあってもクレープを捲いた様な桜餅は売られていません。
ちなみに、塩漬けの葉は普通に一緒に食します。柏餅の場合、柏の葉はいただきませんが・・・。
>「草餅」圏と「鶯餅」圏があるということ、ご存知でしょうか。
知りませんでした。言われてみれば逗子は「草餅」ですね。最も鶯餅も蓬だから草餅を鶯のカッコにして青黄粉をまぶしただけなので、わたくしには蓬餅のバリエーションに思えますが。草餅には母子草(御形)と蓬とあるそうで、山本健吉なんかは「蓬のような特殊な香りがなくて、かえってよい」と母子草派ですが、歳時記におめえの趣味書くなって。わたくしは在が茨城なので「蓬餅」しか知らず、それも買うものではなく作る物で、ばかでかい、婆様の指紋の付いた奴を食べさせられたものでした。貧乏臭い味で(鄙びた味とも言いますが)、売り買いする味ではなく、やはりそれぞれの在の味でしょう。鶯餅は艶やかで愛らしく雅なので、こちらが茶菓子や俳句には人気があるようです。同じ草餅だけれども、雅の鶯餅、俗の蓬餅でしょうか。
>桜餅も道明寺も、最近では神奈川県では普通に見られるようになりました
そうですか、わたくしは結構道明寺は探します。関東の老舗は味を守りますから、意地でも道明寺は作らないようです。何でも食う人のためのダボ鯊和菓子屋さんも重宝するので嫌いではありませんが。お菓子はやはり元祖があればそれを食わないと始まらないので、桜餅は長命寺が残っている分ありがたいですね。京の和菓子は、特に茶席にしか出ないのは溜息が出るくらいはんなりとしておいしい。例えば市販されている「花弁餅」なんてえのは皆まずくて食えなくなります。あ、知らないほうがいいのか。我が在の「水戸の梅」なんかもそうです。駅で売ってる奴なんかよく紫蘇の葉ごと食えるもんだ。食える葉というのは、そのように調理されているものです。元祖は教えないけど。わしの食う分なくなるから。
>塩漬けの葉は普通に一緒に食します。
エンガチョ!
葉がもし食べられる物であれば、食べられるように菓子屋は長年掛けて筋が口に残らないよう、塩も抜くような工夫をしますって。元祖「水戸の梅」のように。桜餅の葉は椿餅や柏餅や笹餅と同じで、あれはお皿代わりにしたり、黴菌だらけの手を殺菌したり、香り付けとほんのり塩味を移すための添え物です。作る側が言っているのだから間違いない。でなかったら、職人として客の口に入るものにもっと神経を使います。一緒に食べるのは桜餅が可哀想で下品さん。うちのカミサン、京のお茶の家元直系だから、葉っぱ食う毛虫や青虫みたいなの家に上げんといてと血相変えます。
どうしても葉っぱを食べたければ、小豆餡を二日がかりで作って、そこに1年塩漬にした大島桜か支那実桜の葉っぱ(八重桜も可か)を20枚ほど刻んで入れて弱火で煮込み、自分でクレープのように皮を焼いて桜案を包んで自分だけの桜餅を作ることです。サルサ・デ・ポマドーロ(トマトソース)を作る時にバジルの葉っぱをどさっと入れるやり方と同じ。その方が絶対餡に深味が出ておいしいと思うし、作った人の気持にも適います。
コメントを投稿