樋口由紀子
暁が降るよラッパ屋が死ぬよ
奈良一艘 (なら・いっそう) 1947~
「暁が降るよ」と「ラッパ屋が死ぬよ」とそれぞれの意味は読み取れるが、異なった地平にある二つのフレーズで一句が形成されている。この並列がどのような関係性を生み出しているのだろうか。
「ラッパ屋」とはラッパを売ることを生業にしてきた人のことかもしれないが、その人はラッパの音のようににぎやかで、それでいてどこか寂しげだったのではないだろうか。夜が明けようとするとき、あたりはだんだんと明るくなってくる。そんなときにラッパ屋が死んでしまいそうである。暁の自然現象に「ラッパ屋が死ぬ」と事態を転換している。あるいはラッパ屋が死んでしまうという、どうすることもできない現実を、とても哀しいことを、「暁が降る」というフレーズで、まるで祝祭のように転換している。死の現実の前で世界を強く意識している。センチメンタルな川柳である。
〈なが~い廊下の話だが聞くか?〉〈不服ならバナナになればよいのです〉〈水音のする引き出しから閉める〉『川柳作家ベストコレクション 奈良一艘』(2018年刊 新葉館出版)所収。
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