2019年8月17日土曜日

●土曜日の読書〔空気草履〕小津夜景



小津夜景








空気草履

空気が好きで、空気をつかったアイテムについて、日々情報収集している。

その中に、空気草履という名の、よくわからないブツがある。

これは大昔、尾崎翠「空気草履」で知ったのだが、その小説というのが、貧しい女の子が夢で見た空気草履をひょんないきさつから手に入れる話で、甘ったるく感傷的で、エアー感覚が皆無な上に、肝心の草履のしくみが書かれていない。

空気草履は志ん生の自伝にも登場する。志ん生の師匠である馬生(4代目)が空気草履をはいて、目の見えなくなった小せん(初代)を見舞うくだりだ。
そうしたら小せんのおかみさんが、師匠が帰ったあとで小せんに
「いま勝ちゃん(馬生)が空気草履をはいてきましたよ」
「ナニ、空気草履をはいてきたと……」
小せんはそれを聞いて、ちょっと眉をくもらせていたが、口述で弟子に手紙を書かせ、それを師匠のもとへ届けさせた。その手紙には、
「お前も江戸っ子だし、俺も江戸っ子なんだ。お前とはこうして若い自分からつきあってきたが、いま聞いたら、お前はうちへ空気草履をはいてきたという。江戸っ子がそんなものをなぜはくんだ。江戸っ子の面よごしだ。きょう限り絶交するからそう思え……」
と書いてある。これを読んで師匠はびっくりして、なんとかという文士を中へ立てて、小せんのところへおわびに行ったというんですよ。そして中に立った文士が
「師匠、とにかくこの人も、わるい了見で空気草履をはいていったわけじゃない。つい出来ごころではいたんだから、どうかこのたびのことはかんべんしてやってもらいたい」
(古今亭志ん生『なめくじ艦隊 志ん生半生記』(ちくま文庫)
空気草履がどんなものか、やはり見当がつかない。大辞林第三版の「かかとの部分をばね仕掛けにして、空気が入っているように見せたもの」との説明からだと、ドクター中松の「スーパーぴょんぴょん」しか思い浮かばないのだが、もしかしてそれでいいのか?

そして月日は流れ、きのう夫と待ち合わせた喫茶店で空気草履のことをふと思い出し、スマートフォンで検索したら、なんと実物写真が一枚だけ見つかった。大辞林の説明とは違い、横からみると、インソールとアウトソールの間が革製アコーディオンになっていて、つま先はミッドソール(すなわちアコーディオン部分)を挟んで上下のソールが固く縫い合わせてある。つまりまるきり鼻緒のついた蛇腹のふいごなのだ。これだと足を上げるたびにかかとの部分がふっと扇型にひらき、ふっ、ふが、ふっ、ふがっとなる。ふいごをふがふがふんで歩くのは、確かにちょっと阿呆っぽい。志ん生の本を読んだときは、江戸っ子の偏屈自慢はお腹いっぱいだよと思ったものだけれど、全くそんな話ではなかった。




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