2019年11月9日土曜日

●土曜日の読書〔町中に風呂が〕小津夜景



小津夜景








町中に風呂が


フランス人の生活習慣は、自分の知るかぎり地方ごとにずいぶん違うから、いまだに何がふつうなのかよくわからない。彼等自身が共有するセルフ・イメージというものが存在するのかどうかすら謎である。つい先日は、ふと思いついて、

「どうしてフランス人は泡風呂に入るの?」

と知人にたずねた。無論これは全く根拠のない質問であり、あくまでもイメージ上のフランス人の話である。だが知人は間髪入れずにこう答えた。

「だって泡がないと、お湯冷めるじゃん」

なんとあの泡にはそんな意味があったのか。雰囲気を大切にしているのかと思ったら。わたしが本気でおどろくと、いままでそんなことも知らずに生きていたのか、と知人はもっとびっくりしたようだった。

ところで、フランス人が風呂に入らなくなったのはペストの流行がきっかけで、公衆浴場の衛生観念が危ぶまれたからなのだそうだ。だから時代をさかのぼると、たとえば13世紀のパリでは入浴は高く評価される習慣だった。風呂屋もすでに商売として親しまれており、蒸気風呂屋、入浴施設、共同浴場、入浴場などが同業者組合をつくっていた。パリ市の発行する営業規則書もあり、料金はどこも均一、違反すると罰金を払う。面白いのは、朝になると「お湯が湧きましたよ」と街中に触れ回るお知らせ係が存在したことだ。
夜が明けると、お知らせ係が、蒸気風呂が温まりましたと告げて歩く。使用人たちは、今か今かと客を待つ。パリの人びとは、身軽な装いでいそいそと出かけてゆく。体を温めるため、汗をかくため、髭や髪の手入れをしてもらうため、香料を塗ってもらうため、マッサージをしてもらうため、と目的はさまざま。目的に合わせて、ある場合は別個に、浴槽が設置されていた。浴槽の数は規模によって異なったが、どこでも共通していたのは、浸身浴のあとに休憩するための柔らかなマット、温かい毛布、冷やしたワインなどである。思わぬ棘を避けるために、今ならバスタオルに相当する薄い布を借りる場合は、サイズによって一ドゥニエか二ドゥニエが必要だった(…)建物の造りはすべて同じで、地下室に窯、一階は二手に分かれ、一方は貴族と病人用の浴槽、もう一方は下層民用の大浴槽、それに、蒸気を外に出すための穴が天井に開いた、階段状の発汗室、上階には、休憩室が用意されていた。(ドミニック・ラティ『お風呂の歴史』白水社)
おお。楽しそうじゃありませんか。この本によると、フランスの他の地域も同じ形式でお風呂文化が栄えていたらしい。ちなみに、こうした行政公認の入浴施設とは別に、健康や衛生とは関係のない娼館もパリには数多くあって、それも浴槽のある施設ゆえ「風呂屋」と呼ばれていた。目的はいろいろだが、町中に風呂があふれていたのだ。




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