2019年11月2日土曜日

●土曜日の読書〔風土を感じさせる人々〕小津夜景



小津夜景








風土を感じさせる人々


コート・ダジュールの男性は、道ですれちがった女性によく声をかける。

面白いのは、この公式が人種を越えてあてはまることだ。ミディ・ピレネーに住んでいたときは、人種を越えるどころかナンパ師以外にそんな男性を見たことがなかったので、たぶんコート・ダジュールには声かけの習慣がもともと根強くあり、新しい移住者は「郷に入っては郷に従え」方式でこの習慣を身につけてゆくのだ。

ところで、いったいどのくらいの頻度でどういった男性が声をかけてくるのか。そう思い、しばらくメモをとってみた。まず頻度については1時間につき平均3、4人。人種については黒髪のラテン系と中央アフリカ系が多いが、これは単純に人口比を反映していそうだ。年齢は20代から80代まで偏りがない。

声のかけ方については、ボンジュール、とまずひとこといって、こちらの出方をうかがうパターンが一番多い。が、たまに驚くような人もいる。ある日、仕事鞄をぶらさげて海辺の道を歩いていると、後方から「すみませーん! すみませーん!」と大声で叫びつつ全速力で走ってくる若者がいた。そんな状況に遭遇したら「ん。何か落としものでもしたかな」と思うのがふつうだろう。私も当然のごとく立ち止まり、追いついた若者に「なんでしょう」とたずねた。すると若者は、ちょっと息をととのえてから、

「あの、一緒にお茶しませんか」と、いった。
「は」
「いつもこの道を、にこにこしながら歩いているでしょう? ずっと声をかけようと思ってたんです」

話を聞けば聞くほど、人懐っこい、素直な若者である。思わず「私、すぐそこで働いてるの。ほら、あの建物」という台詞が喉から出かかった。が、いやいやと我に返り、「ごめんなさい。私、結婚してるから」と伝えた。若者は、

「えっ。あー。じゃあ無理ですよね。そうだったのかあ。あの、でもまたいつか声かけますから。気が向いたら、そのときはよろしく!」と、明るい表情で去っていった。

久生十蘭の滑稽小説『ノンシャラン道中記』では、タヌとコン吉が冬のパリを脱出してニースを目指す。興奮にみちた彼らの南仏の旅は、その文体どおりの珍道中である。
「ところで、こいつはたった八百法で買ったんだから、1246-800=446で、四百四十六法も経済したうえに、あたし達は、碧瑠璃海岸(コオト・ダジュウル)の春風を肩で切りながら、夢のように美しいニースの『英国散歩道(プロムナアド・デザングレ)』や、竜舌蘭(アロエス)の咲いたフェラの岬をドリヴェできるというわけなのよ。この自動車はポルト・オルレアンの古自動車市で買ったんだから、立派とか豪華(リュクス)とかっていうわけにはいかないけれど、なにしろコオト・ダジュウルのことですもの、自動車(オオト)の一つくらい持ってなくては、シュナイダアにもコティにも交際つきあうことは難しいのよ。さあ、コン吉、湯タンポをお腹んところへあてて! 車ん中であまり暴れると、踏み抜くかもしれないから用心しなくてはだめよ。いいわね、さ、出発!」(久生十蘭『ノンシャラン道中記』青空文庫)
ものの見方に滑稽小説ならではの類型化が働いているにもかかわらず、コート・ダジュールの風土を感じさせる。読んでいて、ふっと笑ってしまった。




0 件のコメント: