2022年10月3日月曜日

●月曜日の一句〔岸本尚毅〕相子智恵



相子智恵







風は歌雲は友なる墓洗ふ   岸本尚毅

句集『雲は友』(2022.8 ふらんす堂)所収

自選の15句が裏表紙に載っていて、すべてが雲の句なので驚いた。まさに『雲は友』なのである。これだけ雲の句が一集に収まっていることも面白い。少し挙げてみよう。

  胴体のやうに雲伸び日短

  埼玉は草餅うまし雲白し

どちらも人を食ったようなおかしみがあり、好きな句だ。

さて、掲句は本句集の表題句。不思議な句である。そもそも、〈風は歌〉で〈雲は友〉だというのは、墓石にとってのことなのだろうか。それとも墓を洗っている作中主体にとってのことなのだろうか。

私は最初、墓を主体にして読んだ。じっと動くことのない墓石にとっては、風が毎日違う歌を歌い、見上げれば毎日違う姿を見せる雲が友なのだろう。静と動。この墓は、都会の密集した墓地ではなく、農村の、稲田に囲まれた小さな墓地だといいなと思う。稲穂を風が渡り、雲がいろんな形を見せる。なんだか呑気で面白い。

次に墓を洗う人を主体として読んでみた。これもまたのどかな気分になる。いい墓参りの句だ。そして、まだ表れていない主体としては、この墓に埋葬された死者もその主体となり得るだろう。泉下の人にとっても風は歌で雲は友なのだ。

ここで、ちょっと昔に大ヒットした「千の風になって」という歌を思い出してしまった。あの歌は、「死者は墓にいるわけではなくて、千の風になってあなたを見守っているよ」という趣旨の歌だった。しかし、墓は動かず、風と雲は動き続ける……という掲句の方が、説教臭くなくていいなあ、と思う。

さて、本句集の中には他にも墓の句が案外多い。(ちなみに寺や涅槃会なども多い。好みの句材なのだろう)

  墓石や出合ふともなき蟻と蜘蛛

  柿潰れシヤツだらしなく墓に人

なかでもこの即物的な墓の句が面白い。(墓の句に面白いと言ってよいのかは分からないが……)

  明易や雲の一つに乗りて死者

という句がある。岸本氏の死者は、勝手に風に成り代わって満遍なく人々を見守ったりはしない。一つの小さな雲にのって楽しそうに移動していく。あとがきに、〈自分が老人に近づいた〉と書いていたが、こういう死生観というものが、いかにも岸本氏らしいのである。

  秋の雲子供の上を行く途中

そんな雲は、時々、子どもの上を通ったりもする。

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