西原天気
※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。
「ち」と読めばすこしかわいくなる地声 なかはられいこ
ちごえ。
どうだろう。すこしはかわいくなっただろうか。
「地」には、天との対概念である「地」、地面なんかがそうだけど、そこから派生して(比喩的に)いろいろな意味や脈絡で使われる。「地声」は、生まれついて持ってしまった声、あるいは、裏声との対比で、そのまま自然に出る声、のような意味だろう。と、地声について、うだうだ語っている場合ではない。この句の眼目は「かわいくなる」にあるから、そちらに話を進める。
ところでこの句、何が「すこしかわいくなる」というのだろうか。
A 読み方を言っているのだから、まずもって「地声」という語がかわいくなる。
B あるいは、地声がかわいくなる、と、読めないこともない。
候補がふたつあがった。どちらと決める必要はない。「地声」という語は、どこかしっかりしていて、このままではかわいくない。「じ」ではなく「ち」と読めば、なるほど、あんまりしっかりしなくなる。そのせいで、かわいくなる。ついでに「ご」じゃなくて、「こ」と読めば、もっとへなへなする。
ちこえ。
一方、地声が、かわいくない人はたくさんいる。いや、かわいい人も、少なからずいる。それにそもそも、「じごえ」という語の音質と、人それぞれの声質、このふたつには関連がないので、「じ」と読もうが「ち」と読もうが、かわいくない声はかわいくないし、かわいい声はかわいい。
と、なんだか、ややこしくなってしまう。つまり、この句には、そこはかとない「ねじれ」があるのだ。そのねじれが、以上のような愚にもつかない駄言駄弁をもたらすわけなので、ゆめゆめ「ねじれ」を軽んじてはいけない。
掲句は『川柳ねじまき』第10号(2024年1月)より。
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