2025年12月3日水曜日

●西鶴ざんまい 番外篇30 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外篇30
 
浅沼璞
 
 
今年も押しつまってきましたが、在原業平の生誕1,200年ということで、根津美術館が特別展「伊勢物語――美術が映す王朝の恋とうた」を開催(11/1~12/7)。紅葉狩を兼ね、後期展示に足をはこびました。

中世以前、写本時代の古筆・古絵巻の展示も充実していましたが、愚生の興味はやはり近世以降にありました。


西鶴生誕の少し前、江戸時代の初めに挿絵入「伊勢物語」の版本(嵯峨本)が出版。それまでの写本による「知の専有化」の時代は、版本によって「知の共有化」の時代へと大きく転換したわけです。

結果、嵯峨本「伊勢物語」は多くの庶民に読まれただけではありません。多様な絵画作品の原典ともなったのです。

例えば本展の出品作でいうと、第50段「行く水に数かく」の挿絵が、岩佐又兵衛「鳥の子図」や土佐光起「伊勢物語図」に影響を残しているのがわかります。(絵として圧倒されたのは又兵衛筆でしたが)


むろん西鶴もまた嵯峨本によって「伊勢物語」を享受したに違いなく、あの『好色一代男』(1682年)にさまざまな影響を残しているのは有名ですが、そればかりではありません。浮世草子以前、俳諧においても次の発句が知られています。

  こと問はん阿蘭陀広き都鳥      『三鉄輪』(1678年以前)

いうまでもなく第九段「隅田川」の詠〈名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと〉(古今集)のサンプリングです。

当時、旧派・貞門から阿蘭陀流と揶揄された談林の、その急先鋒として、「広き都の都鳥さんよ、オランダ流の広大さを世間に教えてやってくれ」というような心意気を感じさせます。

さて晩年の『西鶴独吟百韻自註絵巻』にその気概、ありやなしや。