2026年2月27日金曜日

●金曜日の川柳〔佐賀山亮太〕湊圭伍



湊圭伍





よくきけばさくら色した鐘の音  佐賀山亮太

鐘の音がどこか遠くから聞こえてくる。耳を澄ませてみると、その音はほんのりと桜色をしていた。

音(聴覚情報)に色(視覚情報)を感じとるというと、「共感覚」という語が思い浮かぶ。ただし、この句はそれとは違う。桜が満開に咲く時期の空気感が、遠くからやってくる音にふんわりと桜色をまとわせている。大きな時間の流れのなかにいることの気づきがここに、俳句の季語のようには整理されていない感覚として保存されているようだ。

「よくきけば」は一見、冗長のようだが、「よくきけばさくら」までのひらがなだけの流れとちょっとした読みにくさ(「聞く」に変換するまでの間)と、それ以降の漢字・体言止めのわずかな重さ(鐘?)の対比もあって、読者を「よくきく」ことに寄り添うことへ誘っている。

音と色彩をクロスさせる句といえば、「海暮れて鴨のこゑほのかに白し」が想起される。「よくきけば」と芭蕉句の「ほのか」(派手な句またがりの技巧性も含め)のどちらがより冗長かなどと、どうでもよいことを考えた。

愛媛・今治の作家、佐賀山亮太(1918-2009)の句は、安野かか志『川柳句文集 二人羽織』(あゆみ出版、2021年)の巻末にまとめられています。

2026年2月20日金曜日

●金曜日の川柳〔翠川蚊〕まつりぺきん



まつりぺきん





ここ 見てて ロバが立てなくなるシーン  翠川蚊

題は「星月夜」。

イメージの幅が広く難しい題で、月は出ていないが星が明るく輝いている夜を指します。
そこにロバという経済動物がいて、立てなくなってしまう光景。

「ここ 見てて」は映像作品を観ながら、視聴済みの主体が初見の相手に対し、これから流れるシーンを注視するよう促すイメージ。

そこには不能へと変化する何かに対する哀感や憐憫とともに、若干の嗜虐的興奮が滲んでいます。

また、差し込まれる一字空けには、どこか未熟な発話を感じます。

漆黒の闇ではなく、少し明るい夜だからこそ見えしまう残酷な何か。

かなりの飛躍を感じつつも、叙情性高く仕上がっており、味わい深い句になっているのではないでしょうか。

「海馬万句合」第二回より。

2026年2月18日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #91

 

西鶴ざんまい #91
 
浅沼璞
 

 八徳を何のうらみに喰割れ   打越
  鴻の巣おろす秋の夜の月   前句
 平調の笙の息つぎ静にて    付句(通算73句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
三ノ折・裏9句目。  恋離れ。  秋=平調(ひやうでう)=雅楽十二律の一つ。陰陽五行説により秋季に対応する調子。  笙(しやう)=雅楽の管楽器。15本の竹管の根元にあるリード(簧・した)を吸気・呼気で振動させて音を鳴らす。  息つぎ=息継ぎ。

【句意】
平調を吹く笙の息継ぎは静かである。

【付け・転じ】
鴻の巣材のうち、笙の演奏に役立つ石に注目し、視覚表現から聴覚表現へと転じた。

【自註】
笙をしめすに鴻の巣にある石にて心よき事、古き書に見えたり。是に、むかしは楽人(がくにん)、此の鳥の巣おろしして、彼の石をさがし、重宝となしける。平調は秋の調子なれば、前句の月によせて一句にむすび侍る。

【意訳】
笙(の簧)を湿らすのに鴻の巣にある石を以てすると快い音色になる事が古い書物にみえる。これにより、むかしの雅楽の演奏家は此の鳥の巣をおろして、その石をさがし、貴重なものとした。平調は秋季の調べなので、前句の月に付けて一句にするのです。

【三工程】
(前句)鴻の巣おろす秋の夜の月

  笙の簧しめすに石の重宝し 〔見込〕
     ↓
  湿らせて笙の息つぎ静なる  〔趣向〕
     ↓
  平調の笙の息つぎ静にて    〔句作〕

鴻の巣材から、笙の簧を湿す石に注目し〔見込〕、〈どのように石は役立つのか〉と問うて難しい息継ぎもすんなりできるとし〔趣向〕、前句の月にあわせて秋季の「平調」とした〔句作〕。

【テキスト考察】
『新編日本古典文学全集61』には〈笙の演奏でもっとも難しいのが息継ぎのときで、それが笙石のお陰でスムーズにいく〉とあります。

ちなみに『西鶴名残の友』(巻四ノ四)にも、〈此の巣の中にありける石は、笙の舌(=簧)をしめすによしと、古人つたへける〉とあり、鶴翁に雅楽への知識があったことが知られます。

 

2026年2月16日月曜日

●追悼・樋口由紀子 週刊俳句関連リンク集

追悼・樋口由紀子 週刊俳句関連リンク集



金曜日の川柳:ウラハイ
https://hw02.blogspot.com/search/label/HiguchiYukiko

樋口由紀子 兼題「金曜日」10句 2015-12-13
樋口由紀子 清潔な靴 10句 2018-12-23
樋口由紀子 もうすぐお正月 10句 2019-12-22

樋口由紀子さんへの10の質問 2018-08-19

樋口由紀子・水に浮く・7句×齋藤朝比古・水すべて・7句 2007-06-03
「水」のあと 2007-06-10
上田信治×西原天気 「水に浮く」×「水すべて」を読む 2007-06-10

樋口由紀子 ハラハラ・どきどき 170本の「金曜日の川柳」 2014-08-24

樋口由紀子 特集【 山田耕司句集『不純』を読む】川柳作家から見た『不純』 おとこまえ 2018-09-09
樋口由紀子 需要と供給 斉田仁句集『黒頭』と望月裕二郎歌集『あそこ』 2014-12-14https://weekly-haiku.blogspot.com/2014/12/blog-post_16.html

柳俳合同誌上句会2020 投句一覧 2020-09-06
柳俳合同誌上句会〔2020年9月〕選句結果 2020-09-13

柳本々々 境界破壊者たち 樋口由紀子句集『容顔』の一句 2014-08-10

小林苑を わたしと出会うための一冊 樋口由紀子『めるくまーる』 2020-11-22
西原天気 頻発するカタストロフ 樋口由紀子『めるくまーる』を読む 2019-09-15

山田耕司 爽快、「理解不能で面白い」という感じ方。 樋口由紀子『川柳×薔薇』を読む 2011-05-22
柳本々々 斡旋・素手・黒板 樋口由紀子『川柳×薔薇』のあとがき 2017-01-22
西原天気 親切で誠実な批評 樋口由紀子『川柳×薔薇』を読む 2012-02-12

五十嵐秀彦 私性と虚実柳誌『MANO(マーノ)』第15号を読む 2010-04-25

川柳 「バックストローク」まるごとプロデュース号 2010-03-07
樋口由紀子 川柳に関する20のアフォリズム 2010-03-07

2026年2月15日日曜日

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2026年2月13日金曜日

●金曜日の川柳〔落合魯忠〕湊圭伍



湊圭伍

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



深呼吸してから海を吐き出そう

落合魯忠

海を体内に溜め込むには、長い時間がかかりそうだ。この句の場合とくに、わざわざ深呼吸してから吐き出すほどの量なのだから相当である。ただ海をたびたび訪れる程度ではなく、海上に浮かびながら久しい過ごすことで、波のうねりが少しずつ、しかし着実に全身に染み入った結果という風だ。

そうして溜まりに溜まった海を吐き出すに至った経緯も気になるが、句はそれは語らない。かろうじて「吐き出そう」に決意が読み取れる。そこには吐き出すことへの無念の思いが、あるいはそれとは逆に、海の重みからついに解放されることへの安堵が伴っているだろうか。句の言葉からはどちらでもないように感じられる。いや、どちらでもあるのか。

あえて読みを絞り込むと、かすかな明るみの感覚が、そのかすかさにも関わらずくきやかに表現されていると思う。その明るみの中に、海を吐き出し、過去を手放す瞬間、この人物の脳裏にひらめいた数多の光景を思う。

落合魯忠『句集 オンコリンカス』(私家版)より(「オンコリンカス」は、魚のサケ科の学術名)。

2026年2月9日月曜日

●月曜日の一句〔攝津幸彦〕西原天気



西原天気






舞ふブロンドの髪のサラダよ星条旗  攝津幸彦

《舞ふ》という動きが《ブロンドの髪》だけでなく、座五《星条旗》にまで掛かり、ペタッと平面ではなく、風にはためくさまが目に見える。そこのところが、まずこの句の主成分。

それにも増して《サラダ》。《サラダ》が全体の明度や肌理を調整して、この句を叙景でもなく、事柄の描写でもなく、あざやかな塑像として成立させる。このときの《サラダ》は隠喩でもなく、よくよく考えれば見立てでもない。《ブロンド》と《星条旗》というありがちで安定的なセットに割って入るに、いっけん順当なようでいて、そうでもない。異物感が残る。そこが肝心なのだろう。句が、絵ではなく立体(それこそ「塑像」)として仕上がり、妙味が尽きません。

ところで、星条旗と聞いて、思い浮かべるものはもちろん人によって多様。極東に生まれて暮らす私は、例えば、ジミ・ヘンドリクスのウッドストックでのあの圧倒的な演奏(≫動画)。米国人が The Star Spangled Banner と聞いて思い浮かべるものもきっと多様。何億ものべつべつの想像・連想があって、それこそが象徴たる国旗の作用なのだろう。だから、掲句のこの座五は、そこまでの措辞を定着・念押しするものであるように見えて、茫洋たる多様へと広がっていく作用でもあるようなのですよ。

掲句は第二句集『鳥子』(1976年)所収

 

2026年2月6日金曜日

●金曜日の川柳〔畑美樹〕なかはられいこ



なかはられいこ


※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



くださいください顔上げて言う魚市場  畑美樹

鯖を買いに来たのだ。いや、秋刀魚でもいいけど。お店の人に「ください」と言う。だけどここは市場だ。声は周囲の喧騒にまぎれてしまう。今度は少し大きな声で「ください」と言う。お店の人はまだ気づいてくれない。うう、っと、勇気をだしてうつむきがちの顔をあげる。そして「くださいください」と連呼するのだ。

(ひたむき)とか(一途)いう概念が具現化された、うつくしくもいとおしい一句。

『現代川柳の精鋭たち』(2000年/北宋社)より。

2026年2月4日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #90

 

西鶴ざんまい #90
 
浅沼璞
 

  儒の眼より妾女追出す    打越
 八徳を何のうらみに喰割れ   前句
  鴻の巣おろす秋の夜の月   付句(通算72句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
三ノ折・裏8句目。  恋離れ。  秋=月の定座の二句引き上げ。  鴻の巣(こふのす)=コウノトリの巣(高木や大寺の棟瓦などに作られる)。

【句意】
コウノトリの巣を(木から)おろす秋の夜の月。

【付け・転じ】
食い裂かれた八徳を、コウノトリの巣材と見なし、恋から転じた。

【自註】
惣じて、梢の鳥、巣に、ちり塚のちりの中より、文反古(ふみほうぐ)あるひは落髪(おちがみ)、わけもなきさま”/\を集めける。中にも*大鳥の巣には、帯、たすき、洗ひぎぬの片袖などかけ来たりて、人に迷惑いたさせける。

*大鳥(おほとり)=コウノトリの俗称。

【意訳】
だいたい梢の鳥は、ごみ溜めの中から、紙屑あるいは頭髪、どうでもよい様々なものを巣に集めてくる。わけてもコウノトリの巣には、帯、襷、洗濯物の片袖などかっ攫って来て、人に迷惑をかける。

【三工程】
(前句)八徳を何のうらみに喰割れ

  大鳥の巣に帯・襷など  〔見込〕
     ↓
  高き梢の巣をおろすなり 〔趣向〕
     ↓
  鴻の巣おろす秋の夜の月 〔句作〕

コウノトリが巣材として人の衣服を食い裂いたと見なし〔見込〕、〈どう対処するのか〉と問うて「巣をおろす」とし〔趣向〕、月の定座が近いので、視界のきく満月の晩とした〔句作〕。

【テキスト考察】
『訳注西鶴全集2』によると、巣は「樹の命を害する」そうです。だから巣をおろすわけで、さらに「昼間は親鳥が怒つて人に危害を及ぼすから、これを避けるため夜する」とあります。とりわけ満月の晩なら視界もきくことでしょう。

ところで『新編日本古典文学全集61』では「鴻の巣」を俳言と明記しています。やはり身近な世俗の言葉ということなのでしょう。かたや下七「秋の夜の月」は、〈秋の夜の月にこころのあくがれて雲ゐにものを思ふころかな/花山院〉などがあるように歌語と解せます。とすれば、歌語/俳言という雅俗の取合せになっていると解せそうです。

そういえば芭蕉にも〈鸛の巣もみらるゝ花の葉越哉〉の発句があります。〈鸛(鴻)の巣〉の俗と、花(山桜)の雅との取合せかと思われます。

 

2026年2月2日月曜日

●月曜日の一句〔正岡子規〕西原天気



西原天気






天地を我が産み顔の海鼠かな  正岡子規

『ナマコの眼』という名著がありますが(鶴見良行著/1990年)、海鼠に眼はないそうです。なので、顔といえるものがあるかどうか。ただし、頭と尻はある。つまり前後はある。

海鼠は〈天地(あまつち)〉を創造したかのような顔をしている、と言われれば、顔はなくても、そうかもしれない。子規には、《渾沌をかりに名づけて海鼠かな》の句もあって、混沌と天地創造と海鼠が、アタマのなかでセットになっていたようです。

ところで、子規は、「天地混沌として未だ判れざる時腹中に物あり恍たり惚たり形海鼠のごとし。海鼠手を生じ足を生じ両眼を微かに開きたる時化して子規となる。」という文章も残しているそうです(≫規と漱石の海鼠)。

眼のない海鼠が眼を得たもの、それが自分だ。というわけで、海鼠にはなみなみならぬ親近感を抱いていたのかもしれません。