2026年10月7日水曜日

●西鶴ざんまい #104 浅沼璞

 
西鶴ざんまい #104
 
浅沼璞
 

  河骨慈姑迄もちりの世   打越
 人質に我くらからぬ五月闇  前句
  幸便の状春日なるさと   付句(通算86句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
名残ノ折・表8句目。雑。
幸便(かうびん)の状=都合よく人に持参させる手紙。

【句意】
都合よく人に託した手紙を春日の里に。

【付け・転じ】
前句の人質を、遣唐使だった阿倍仲麻呂に見立て、その望郷の一首から春日の里への手紙を想像した。

【自註】
*安部仲麿、遣唐使に渡りてひとの国に留められし時、我が古里の人、本朝に帰りける名残に舟ばたまで見おくり、折ふし八月十三日の夜なれば**読めり。***天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも。此の時の事をおもひ合せて****人質に仲麿を出だしける。幸便の状は、春日の里へたよりの心也。俳諧作意にして、句がらをあらけなく一句にむすび侍る。
*安部仲麿=阿倍仲麻呂。
**読めり=詠めり。
***天の原ふりさけ……=『古今集』の前書に「唐土にて月を見てよみける」。帰国する人を見送る際の作というのは誤りで、諸註に指摘がある。
****人質に=仲麻呂が抑留された事実はなく、これも諸註に指摘がある。【テキスト考察】参照。

【意訳】
阿倍仲麻呂が遣唐使として渡航し、外国に留められたとき、自分と同郷の人が、日本に帰る名残を惜しみ、その船端まで見送り、折しも八月十三日の夜なので(一首)詠んだ。「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」と。このときの事を連想し「人質」に仲麻呂(の面影)を出した。「幸便の状」は、春日の里へ託した手紙のつもりである。俳諧的な作意によって、句がらも荒っぽく一句に仕立てたのです。

【三工程】
(前句)人質に我くらからぬ五月闇

  ひとの国へと阿倍仲麻呂 〔見込〕
     ↓
  古里の人送りて詠めり  〔趣向〕
     ↓
  幸便の状春日なるさと  〔句作〕

前句の「人質」を遣唐使だった阿倍仲麻呂に見立て〔見込〕、〈望郷の念はなかったのか〉と問うて自分と同郷の人を見送った際、望郷の一首を詠んだとし〔趣向〕、その一首から「春日なる」の箇所を本歌取りし、その春日への「幸便の状」を想像した〔句作〕。

【テキスト考察】
定本全集では〈仲麿の在留官仕は、唐朝に抑留せられたるにあらず〉とし、〈副使の朝臣・仲麻呂は中国の風習を慕い、留まって去らず、姓名を朝衡(てうかう)と変えて朝廷に仕え〉という『新唐書』「日本傳」における一節を漢文のママ引用している。

また新編日本古典文学全集では、〈帰国できなかった仲麿が漢家の楼上で餓死し、その霊が鬼の姿となって入唐した吉備真備を助け、真備は無事帰国を許された〉という『江談抄(がうだんせう)』の説話を引き、〈望郷の思いを詠った歌からそうした異説も生み出された〉としている。

西鶴もさまざまな異説を見聞きし、ためらいなく人質説に加担したのであろう。もとより俳諧師西鶴による俳諧師的な引用にほかならない。

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