2021年11月26日金曜日

●金曜日の川柳〔なかはられいこ〕樋口由紀子



樋口由紀子






王様になりたい人はハンコください

なかはられいこ(1955~)

王様になりたい人はたくさんいるだろう。しかし、ハンコを持っていけばなれるものではないことは誰でもわかっている。「ハンコください」で王様になれるとは言っていないが、なにかヘン?書いている意味はわかるけど、すんなりと意味が通らない。のびのびと自由で軽妙をよそおいながら、「王様」と「ハンコ」は滑稽なイメージへと横すべりしていく。

「王様」も「ハンコ」もそれなりの威厳があるのに、意外なかたちで茶化されている。どこか人を食っていて、軽いタッチでいけしゃあしゃあと、現実とのズレを生じさせている。そこにはほのかな毒とアイロニカルなまなざしが潜んでいる。言葉の意味の段差を仕掛けている。

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2021年11月24日水曜日

●西鶴ざんまい 番外編#3 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外編#3
 
浅沼璞
 

今年も押しつまってきましたが、平日に仕事の合間をぬい、西鶴に関連する企画展を二つほど訪ねてみました。

いずれも会期終了間近なので、番外編としてお知らせします。

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まずは話題の永青文庫「柿衞文庫名品にみる芭蕉―不易と流行―」、後期展は11/3~12/5。

現在、兵庫県伊丹市の柿衞文庫は改修工事のため休館中ですが、西鶴関連の所蔵品も多く、ちょうど10年前には西鶴展があり、愚生もパネリストとして一座した思い出があります。
 
その折も公開されたお宝が芭蕉に紛れて東京でも見られるのですからラッキーです。
 
で、後期・出品リストに目をとめると――

・版本『西鶴織留』(北条団水編)2冊
・「皺箱や」句短冊 1幅
・自画賛「十二ヵ月」より八月(伊丹市指定文化財)1葉

自画賛「十二ヵ月」の横には岡田柿衞翁のノート「俳人遺墨帳1」(1948年)もあり、
西鶴画賛に関する貴重なメモを読むことができました。
 
また西鶴に影響を与えた先達の荒木田守武・句短冊や、先師梅翁・西山宗因の懐紙など貴重な展示もあり、思わず身をのり出してしまいました。

ちなみに隣接する「肥後細川庭園」は雪吊や紅葉がみられ、独り吟行にはよい頃合いかと。

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さてお次は愚生の地元・横浜――神奈川近代文学館「樋口一葉展―わが詩は人のいのちとなりぬべき」、会期は11/28まで。もうギリギリです。

一葉は『日本永代蔵』の一章をまるまる暗唱するほどの西鶴フリークで、代表作『大つごもり』はタイトルからして『世間胸算用』の影響大。

その『大つごもり』をはじめ『にごりえ』『たけくらべ』等のナマ原稿が展示されており、流麗な筆致に我知らず見入った次第です。

ちなみにこちらも隣接する「港の見える丘公園」で冬薔薇がみられ、独り吟行も可。

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「なんや独り吟行って、令和のご時世も独吟ばやりかいな」
 
はい、ソーシャル・ディスタンスとやらで、吟行もお独り様がトレンドです。
 
「連句の独吟ははやらんのかい」
 
コロナ禍、連句はZoomというので興行してまして……。
 
「……ずーむ? なんや、むーずかしそうやな」
 
はい、では、次回も番外編を続けます。

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2021年11月22日月曜日

●月曜日の一句〔堀田季何〕相子智恵



相子智恵







息白く唄ふガス室までの距離  堀田季何

句集『人類の午後』(2021.8 邑書林)所載

この記事を書くにあたって奥付を見て気づいたが、発行日は2021年8月6日であった。あとがきで著者は、〈境涯や私性は、本集が目指すところではない〉と念を押しつつも、堀田家のほとんどが広島の原爆に殺されていることを明かしている。

この奥付にも象徴されるように、本句集は、俳句という詩で、人間の愚かで非道な歴史を、今を生きる我が事として引き受け、粘り強く思考し、痛みを刻み続ける冷静な一書である。と同時に、現代に生きる一人の作家の熱く縦横無尽な俳句に圧倒され、こちらの熱も純粋に反応して、はらわたが冷たくなったり熱くなったりする、稀有な読書体験をくれる句集であった。

各篇には前書きとして先人の言葉や諺が置かれている。掲句の篇に置かれているのは
〈リアリティとは、「ナチは私たち自身のやうに人間である」といふことだ。(ハンナ・アーレント)〉

すべてを奪われ、殺されるまでの身動きの取れない短い距離の中で、最後にできることは、息をすること、話すこと、唄うこと、祈ること。殺されるまでは、生きていること。

この、腹ががねじ切られるような圧倒的な悲しみと悔しさはなんだろう。しかも、殺す方も「ナチは私たち自身のように人間」なのだ。私達はどちらの側にもなりうるのだ。こんなに哀しくて悔しくてしょうがない「白息」の句を、私は初めて読んだ。

冬の句でもう一つ気になった一篇を。

雪女郞冷凍されて保管さる

毆られし痕よりとけて雪女郞

雪女郞融けよ爐心の代(しろ)として

雪女郞融けたる水や犬舐むる

の四句に作者が付した前書きは〈雪女郞、人權なき者。四句〉

『日本国語大辞典』によると、八朔の日に吉原遊郭で白無垢を着た遊女を「雪女郎」と詠んだ例が『柳多留』にはあるが、『図説 俳句大歳時記』の考証(宮本常一)と例句を読むと、意外にも俳諧には「雪女」はあっても「雪女郎」の句はない。「雪女郎」として詠まれたのは近代に入ってからなのだろう。〈人權なき者〉の境遇に置かれているのは女性ばかりではないが、冷凍保管も、〈毆られし〉も〈爐心の代〉も〈犬舐むる〉も、やはり哀しくて、悔しい。

※「雪」は異体字

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2021年11月19日金曜日

●金曜日の川柳〔延原句沙弥〕樋口由紀子



樋口由紀子






香典を入れたかいなと透かして見

延原句沙弥(のぶはら・くしゃみ)1897~1959

香典袋にお金を入れたかどうか自信がないことは誰だって一度や二度は経験している。封をしているので、開けるわけにはいかず、明るいところで確かめている。典型的なあるある川柳である。「入れた」「透かし」「見」の具体性で時間と動作を決まり、人物が作り出される。生活の輪郭を色濃くし、人を滑稽に抽出する。

〈知ってゐる名前が喉でひっかかり〉など句沙弥は些細な、見過ごしてしまいそうな行為をうまく川柳のカタチにする。遊び心を以て、人を愉快に映し出している。『延原句沙弥川柳句集』所収。

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2021年11月15日月曜日

●月曜日の一句〔櫨木優子〕相子智恵



相子智恵







かいつぶり眼くもれば潜りけり  櫨木優子

句集『忘れ水』(2021.6 ふらんす堂)所載

個人的な感じ方かもしれないが、私はかいつぶりの眼が怖い。丸いのに鋭くて、どこを見ているのか分からない感じが怖い。全身は鴨より小さくてかわいいのに、近づいてみると白目の部分の金色がピカッと光る。一点の曇りもないロボットみたいな眼光がどうも苦手である。黒目の小ささもあるのだろう。鷹や海猫の眼も怖いが、彼らの目にはもっと陰影がある。かいつぶりの眼には陰影がなく、ペタッと光っているので怖い。

さて、掲句。かいつぶりは眼が曇ったら潜るのだという。なるほど、あの鋭い眼光が曇ることもあるのだ。おなかがすいて眼がぼんやりすることもあるのかもしれない。そんな時には潜って魚を獲り、食べてまた眼光を鋭くするのだ。そう思えばかいつぶりも少しは親しみやすく思える。

アメリカ先住民の神話の中のかいつぶりは、水中に潜って陸地を作る材料を探し出す任務に挑み、他の動物や水鳥達が次々と失敗していく中、彼が最後に咥えてきた一握りの泥で、アメリカ大陸が作られたという。勇敢な鳥なのだ。やっぱりちょっと超人(超鳥?)的だ。ロボットみたいに。

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