2024年4月14日日曜日

◆週刊俳句の記事募集

週刊俳句の記事募集


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これはガッツリ書くのはなかなか大変です。それでもいいのですが、寸感程度でも、読者には嬉しく有益です。



そのほか、どんな企画でも、ご連絡いただければ幸いです。

2024年4月12日金曜日

●金曜日の川柳〔まつりぺきん〕樋口由紀子



樋口由紀子





三億円事件みたいに咲く桜

まつりぺきん

まだかまだかと待っていた桜がやっと咲いた。桜は待っていればいずれは咲く。つぼみが膨らみはじめたり、ピンクになったりと、徐々に咲く準備に向かっていることはわかっていた。

しかし、「三億円事件」は違う。1968年に約三億円の現金が白バイ警官に扮した男に奪われた窃盗事件である。突然で、度肝を抜かれたことを思い出す。では、どこが「みたい」なのだろうか。咲くことは予想していても、満開の桜は美しく、この世のものとはおもえない。つまりはとてつもなく心が騒ぐからなのだろうか。はじめて浮かび上がった関係性である。「三億円」というモノではなく、「三億円事件」というコトを使ったのがいかにも川柳っぽい。

2024年4月8日月曜日

●月曜日の一句〔高橋睦郎〕相子智恵



相子智恵






花や鳥この世はものの美しく  高橋睦郎

句集『花や鳥』(2023.2 ふらんす堂)所収

句集の「序句」として置かれた一句である。ふと奥付を見れば、発行日は2024年2月4日となっていて、〈小鳥來よ伸びしろのある晩年に〉の句を同書に収める、七十余年俳句と付き合ってきた晩年の、その新しい春の始まりにこの句集を誕生させたのだな、と思った。もちろん偶然かもしれないが。

跋文に、〈芭蕉は敢へて俳諧の定義も、發句の定義も積極的にはしなかつたやうに思ふ。(中略)「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中【うち】にいひとむべし」も、用であつて體ではない〉と書く。掲句の「もの」は芭蕉の言葉を踏まえていよう。定義で固めて殺してしまわない、連続する「今の揺らぎ」の美しさ。そうすると、〈この世は〉の「は」もまた、この世に固めることはできないのではないか、と思われてきて、異界のこともまた、思われてくるのである。

花も鳥の声も、春爛漫の今日この日の現実であり、「花鳥」という詩歌や絵画の美意識の積み重ねられた物語でもあって、この世もあの世も、今も昔も、虚実も超えて俳句が存在することを寿ぐような一句である。

今、このパソコンを打っている私の耳には窓の外から、東京の鳥たちの声が聴こえていて、ぼんやりと遠くに花の雲が見えていて、ああこの一瞬も、「ものの美しく」なのだな、それは心の中でいくらでも自由に、虚実を超えて広がっていくのだな、と思った。

 

2024年4月5日金曜日

●金曜日の川柳〔瀧村小奈生〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



むかし、ビジネスマナーの実用書に「ふだんより1オクターヴ高い声で挨拶しましょう」とあって、そうすると元気に聞こえるというのだが、ちょっと、待て、1オクターヴがどれくらい高いか、わかってゆってるか? 声は確実に裏返るし、場合によっては、気がふれたと思われてしまうだろう。ま、ものの喩えなんでしょうけれど。 

わたしより半音高い雨の音  瀧村小奈生

これくらいがいいと思います。微妙に高いくらいが。

半音の聴き分けは、難しいには難しいですけどね。

掲句は、瀧村小奈生『留守にしております。』(2024年2月/左右社)より。

2024年4月3日水曜日

西鶴ざんまい #58 浅沼璞


西鶴ざんまい #58
 
浅沼璞
 
 
 末摘花をうばふ無理酒   打越
和七賢仲間あそびの豊也
   前句
 銅樋の軒わらひ捨て
    付句(通算40句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
 
【付句】二ノ折、裏四句目。雑。
銅樋(あかがねどひ)=竹や槙の樋より高価で、富裕層の住居で使われた。

【句意】ぜいたくな銅樋(を設える上層階級)を一笑に付して。

【付け・転じ】打越・前句=「無理酒」から「無理」に賢人を真似た和製七賢への付け。前句・付句=和賢人の目線(無常観)から上層階級への冷笑へと転じた。

【自註】世を隙(ひま)になしたる親仁ども、毎日の楽(らく)遊び、きのふは通天*の紅葉に気を移し、けふはふな岡山*に人のかぎりを思ひ定め、京中の白壁作り、入日にうつるを詠めて、「あれあれあの栄花(えいぐわ)も、人間わづか五十年のたのしみ、死にては何になるやらしれもせぬ。其の身もかはゆや、商売に明け暮れ」
*通天(つうてん)=京の通天橋は紅葉の名所。 *ふな岡山=京の火葬場。

【意訳】世間から引退した老人たち、毎日気ままに遊び、昨日は通天橋の紅葉に気を紛らわせ、今日は舟岡山に人の命の限りを悟り、京都中の贅沢な白壁作り、落陽に映ずるをながめて、「あれあれあのような繁栄も、人間わづか五十年の命のたのしみ、死後は何のためになるやも知れぬ。その身が可哀そうなことだ、商売に明け暮れするばかりとは」

【三工程】
(前句)和七賢仲間あそびの豊也

  栄花もわづか五十年なり〔見込〕
    ↓
  わらひ捨てたる白壁作り〔趣向〕
    ↓
  銅樋の軒わらひ捨て  〔句作〕

和製賢人の目線(無常観)に照準を合わせ〔見込〕、人の世にはどんな無駄があるかと問いながら、富裕層の住まいに目を向け〔趣向〕、とりわけ高価な銅樋をクローズアップした〔句作〕。




銅の樋は高価だったかもしれませんが、そのぶん排水性・耐久性に優れ、結局は経済的、と定本全集の註にありますけど。
 
「また細かいこと言いよるな。長持ちする言うたかて、四十でこさえたら、亡うなるまでの十年しか用を足さへんやないか」
 
残せば子孫のためになる、って『日本永代蔵』にあったような。
 
……。もう忘れたがな。