2009年1月31日土曜日

●おんつぼ14 弘田三枝子 中嶋憲武

おんつぼ14
弘田三枝子 Hirota Mieko


中嶋憲武




おんつぼ=音楽のツボ



つい、この人へ戻ってきてしまう。

あれこれと音楽聴いてますが、原点はこの人だったのかと。

弘田三枝子。

最近の彼女は、ブルーにこんがらがってよく分かりませんが、聴くたびにうまいなあと唸ってしまいます。唸らされる歌手なんて、そうそういるものではありません。

先日も、池袋のHMVふらふらしてたら、このアルバムが目に止まり即買い。

このアルバムこそ、ぼくが弘田三枝子に開眼したアルバムなのです。1964年当時、4歳だったぼくが、従姉の家へ遊びに行くと必ずこのアルバムがかかっていて、多分影響されてしまったのでしょうね。ジャケット写真のポーズを模写しながら、アルバムを聴く日々。特に好きだったのは1曲めの「悲しきハート」と10曲めの「月影のレナート」、12曲めの「寝不足なの」。このアルバムは1963年11月発売ですから、当時高校生だった従姉が買って、ヘビロテの真っ最中のころだったのでしょう。

多分その頃だったと思いますが、新宿厚生年金ホールだかどこだかへ、コンサートに連れて行ってもらった記憶があります。ステージの弘田三枝子、ミコちゃんは、左腕を怪我していて、繃帯で吊っていた痛々しい姿。どんなコンサートだったのかは、まったく忘れてしまいましたが、その繃帯姿だけは妙に目にこびり付いていて、今でも鮮やかに浮かんできます。今でも繃帯姿の女の子を見かけると、なんだか懐かしいような、甘酸っぱい気分になります。


パンチ度 ★★★★★
ポップ度 ★★★★

2009年1月30日金曜日

●最近の受賞句

最近の受賞句


群馬県藤岡市・桜山まつり俳句大会・長谷川零余子賞
冬ざくら見に分身の杖みがく  神久武雄さん

マラソン大分弁俳句・最優秀賞
マラソンにつられち麦踏み速くなる 豊後大野市・佐藤広さん

徳島市・子ども俳句会作品展・県知事賞
あつあつの焼きいも指がドミソミド  城東小六年の中村藍里さん

コニカミノルタ エコ俳句大賞2008
一部屋に集まり笑えば“笑”エネさ  岩手県・シホさん

にいがた文芸・08年年間大賞
だんまりも夫婦の会話春炬燵  長岡市 棚橋嶺風さん

龍谷大青春俳句大賞・中学生部門最優秀賞
プールから出てきた耳が尖ってる  岩手県・安代中学校一年・岡崎祥さん

同・高校生部門最優秀賞
鳥雲に入り黒板の消し忘れ  茨城県・下館一高3年・上形智香さん

同・短大・大学生部門最優秀賞
名月の射し込んでいる楽譜かな  愛媛県・愛媛大学・野間菜津子さん


(新聞各紙より)

2009年1月29日木曜日

●毛皮夫人プロファイリング〔2〕(下)近恵

毛皮夫人プロファイリング〔2〕
43歳、外大卒、夫は大手製薬会社勤務 (下)

近 恵

承前

大学入学とともに上京した彼女は、フランス語を専攻し、いよいよフランス映画が好きになる。映画同好会のサークル活動で知り合った後に結婚することとなる早稲田の二歳年上の男性は、遊び仲間の一人であった。

当時はバブル真っ只中。田舎の慣習から逃れ開放的となった彼女は、バイトで稼いだ小遣いを持って六本木のディスコで朝まで踊ったりする普通の女子大生であった。離婚した父が白系ロシア人であったため、彼女は日本人離れをしたような容貌。スタイルも良かったため、流行の雑誌の読者モデルなどをしたりもする。

いくつかの映画のような恋をするが、それはどこか嘘めいていて、いつも孤独な気持ちになり破局する。理想は理想のまま現実を受け入れざるを得ないという忸怩たる思いで過ごす日々。いつしかそれも当たり前となった社会人2年目の時、友人の結婚式で現夫と再会。映画の話で盛り上がり、何度か会うようになるうちに恋に落ちる。映画の中のような恋ではなかったが、温かく包みむような夫に、やっと自分の居場所が出来たような思いを得、結婚を決める。

新婚気分も抜けきれぬ頃妊娠し、仕事をやめる。無事に第一子を出産、娘であった。育児に終れる日々。ほどなく第二子を妊娠し、出産。息子であった。

娘、息子とも中学受験をさせ、私立の中学へ進学を決める。これでこの後の受験の心配はさほどでなない。息子の中学進学と同時に夫がアメリカに単身赴任となる。子供の受験が終わり、肩の荷が下りたところに夫の単身赴任。彼女はふっと心に穴があいたような寂しさを覚える。

自分の時間が持てるようになった彼女は、週に三日間、近くのスーパーにレジ打ちのパートへ出かけるようになる。と同時に、すこしふくよかになってきたかと、テニス教室に通いはじめる。子供を置いて夜遊びも時々するようになる。

大学生の頃には入れなかった六本木の落ち着いたピアノのあるバー。そこで、売れないピアニストとまさにフランス映画のような恋に落ちてしまい、阿佐ヶ谷に住むその男の家へ時々通ってみたりもするが、所詮遊びの恋である。ほどなくその恋は終わり、新しく来たテニスのコーチへと乗り換えようとするも、なにしろテニスは初心者。小学生の頃にあこがれたお蝶夫人のようには行かず、筋肉痛となり、コーチに無様な醜態をさらし、その恋は実る前から諦める。

来週は夫が単身赴任先から久しぶりの休暇で帰ってくる。ふと現実に帰り、彼女はなぜか夜中にオカリナなんぞを吹いてみるのであった。

2009年1月28日水曜日

●毛皮夫人プロファイリング〔2〕(上)近恵

毛皮夫人プロファイリング〔2〕
43歳、外大卒、夫は大手製薬会社勤務 (上)

近 恵

昭和40年11月30日生まれの射手座。血液型B型。
住まいは都内板橋区の一戸建て。
趣味は映画鑑賞。
神奈川県茅ヶ崎市で生まれる。
ほどなく両親が離婚。
母親の実家である愛媛県松山市へ居を移し、以降高校三年生までをその町で過ごす。
小学校2年生の時、母親が再婚。弟が生まれる。
新田高等学校を卒業し、東京外国語大学へ進学、上京。
大学在籍中にサークル活動にて知り合った2歳年上の現夫と26歳で結婚。
大学卒業後中堅の商社に勤務するが、妊娠を機に退職。
夫は大手医薬品メーカー勤務、現在アメリカに単身赴任中。
子供は中学三年生の娘と中学一年生の息子。どちらも私立中学へ通っている。

 ●

両親の離婚は彼女の人生に大きな影を落とす。当時離婚の理由は両親の口から語られることはなかったが、習慣の違いでロシア人である父方の両親とどうにもうまくいかなかったということを後々聞かされる。

離婚後、母の実家へ戻った当初、世間では離婚はまだあまり多くはなかった。しかも国際結婚となると尚更のことである。実家の松山は大きいとは言え地方都市。隣近所に肩身の狭い思いをして過ごしている母親や、母親をなじる祖父母。彼女はそんな中、愛想を良くする事で大人に心配をかけまいと生きる健気な子供であった。

数年後に母親は地元の有力者の分家筋にあたる旧家の息子と結婚し、ほどなく10歳年下の弟が生まれる。新しい父親は弟と分け隔てなく彼女に目をかけてくれたが、自分の居場所がないような思いで過ごす日々。中学生の頃テレビで見たフランス映画がきっかけで、どこか気だるいようなフランス映画に嵌まってゆく。

愛想はよく、友人も多かったが、同年代の中ではどこか浮いたような存在。友人は多いが、一人で過ごすことを好むような性格。自分のいる場所はここにはないというような思いはどんどん強くなり、東京の大学への進学を決める。


(明日に続く)

2009年1月27日火曜日

●毛皮夫人プロファイリング〔1〕(下)上野葉月

毛皮夫人プロファイリング〔1〕
彼女はルネサンス絵画のマリア様のようなイタリア人である (下)

上野葉月

承前

駅ホームのイタリア人の集団の中、私の乗っている列車に最も近い側に明るい色の毛皮のコートを着た三十代半ばぐらいの女性が立っていた。列車の中からぼんや り彼らを眺めていた私とその毛皮夫人の目が合った。不思議なことに目が合った途端、音もなく列車が動き出した。そう、欧州では合図なしで列車が発車する。

毛皮夫人のマリア様のような顔にほとんど表情の変化はなかったが、黒い大きな瞳だけは「あら私に見惚れてたの、ボーヤ」といたずらっぽく微笑していた。イタリア女性には本当にルネサンス絵画のマリア様のような顔立ちの人が少なくない。

毛皮夫人の右手が口に移動しそれから優雅に海軍式敬礼のような軌跡を描いた。

投げキッス!!

あんまり上品な仕草だったので理解するのに数秒かかった。そもそも私は投げキッスが現実に存在する事象であることを知らなかった。そんなものはマンガのようなフィクションでしかお目にかかれないものだと思っていたのだ。

マ リア様のような毛皮夫人(もちろんあの毛皮夫人の名前が実際にマリアだった可能性は0%ではないが)。投げキッス。フィクション(創作物)経由でプロトタ イプが心象に形成されている場合、現実にそれを目の当たりにするとイマジネーションの現実への逆流現象が発生しフィクションはハイパーリアルに変貌する。 そんな七面倒くさい理屈をこねたところでどうしようもない。

あれは私が欧州に魅了された瞬間だった。魅了されたとしか言いようがない。その後九年間も何の縁もない欧州に住みつづけることになったのだから。