2011年3月27日日曜日

●週刊俳句・第204号を読む 小林苑を

週刊俳句・第204号を読む

小林苑を

渦中にあるとき、生き延びるためにもがいたり、息を止めたり、或いは激しく吸ったりする。
いったん広がった渦は次第に輪を小さくしながら収束する。
渦中にあるとき、わたしたちは言葉を失う。それから、誰かが語り始め、それぞれが語り始める。

第204号は、東日本大震災直後の第203号「非常事態号」のあとの、最初の週刊俳句として記憶されるだろう。
それは語り始めのひとつで(大震災以前の稿も含まれているだろうが)、語り始められた言葉は、受け止められて広がる。受け止めたひとりとして、これからどんな言葉が生まれてくるのかを思う。

恐怖や不安の前で、ひとは強張り緊張する。だからこそ、柔軟でありたい。小さなおどけやユーモアを大切にしたい。すぐにできなくても、柔らかく受け止めようとしたい。ときには、沈黙に耳を傾けたい。しっかり聞いているかと、自分に問いかけよう。それから、ぼそぼそと語り始めるのかもしれない。

いまも、わたしたちが平常な生活を取り戻せたとは言えない。まだ渦中にある。むろん、渦のどこにいるかで大きく違うし、昨日と今日とでも違う。
まだ「いつも」の生活は取り戻せないし、このあと別の「いつも」の生活が始まるのかもしれない。

なにかひとつ、第204号の記事からと言うのなら、野口裕氏の「林田紀音夫全句集拾読156」を挙げたい。
後記で生駒大祐氏もふれているが、阪神淡路大震災に遭遇したおりの句群。
被災の場にあった句はやはり深く落ちて来る。けれども、ひとはそれぞれの場で思いを書くのだ。同時に、それぞれの場に思いを馳せる。

もう少し、さらにもう少し、時間が過ぎてから、たとえば週刊俳句第204号を読み直してみたい。
どんな風に語り始められ、それからどうなったかを知るために。
最初は静かに、呟くように。たぶん近しい者たちに向けて、次第に遠くへ。
そして言葉は熟し、あらたな語り部(それは個人ではないかもしれない)が顕れるのだろう。

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