2015年4月1日水曜日

●水曜日の一句〔太田土男〕関悦史



関悦史








春雨の伝はつてゆく野面積  太田土男


「野面積」は自然石をそのまま積み上げる石垣の作り方。当然隙間が多い。

俳句の世界では、無名の石工たちによって受け継がれた、一見無造作な中の合理性と技術という点から、飯田龍太が俳句の喩えに持ち出し、知られるようになった。

その辺のことを思いだすと俳句で俳句のことを詠んでいるようにも見えるが、意識しなければ写生句と見ることもできるという句である。普段は気にもとめない無骨な石垣が、春雨に伝わられて生気と色気を帯びるという、それだけを即物的に言っている句と取っておいて、別に間違いではないのだろう。

無関係な別の句集の話になるが、今年の星野立子賞を受賞した髙田正子『青麗』を読んでいたら《ゆふがほの実を雨粒のつたひだす》《降りつづく雨のつめたさ式部の実》等、何かが雨に濡れるという句がいくつかあった。

野外の何かを雨が伝い落ちたり、あるいは桐の葉に日が当たったりすると、それでそれなりに味わいのある句になってしまうというのも、伝統的な俳句のなかで受け継がれてきた合理性と技術にほかならないのかもしれないが、掲出句は特にそうしたことを諷刺しているわけでもない。ただ即物的に、不意に鮮度を増した「野面積」が顔を見せているだけだ。

「野面積」の一語が出てきた途端、龍太を介して、俳句への自己言及性が句に寄り添ってしまうが、句の風情からすれば、そうした要素も有難い伝統のようなものとして含みこまれているだけなのかもしれない。

素朴な善意に発して、何かがはみ出しかけ、奇妙な味わいを持つに至った手書き看板のようなものと化す一歩手前で踏みとどまっている句という感じもする。


句集『花綵』(2015.3 ふらんす堂)所収。

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