〔ためしがき〕
有季と定型のあいだで、あるいはそれらを離れて福田若之
詩と散文とのあいだでの震えと見なすことができそうなジャンルは、ただ俳句ばかりではない。たとえば、それによって俳句と川柳をきれいに分けて見せることができるとは僕には思われない。それでも僕らは、この震えが俳句というジャンルの核に刻み込まれていることをはっきりと示すひとつの言葉を知っている。それが、「有季定型」という言葉である。
有季ということ。すなわち、俳句はその言葉の構成の中に季語を含むということ。これは言葉の意味に、したがって、俳句のもつ散文としての一面に関わっている。季語は季節を表す記号である。それはコード化されている。有季という概念は、言葉とはすなわち何かを意味し伝達する道具であるということを前提としているのである。
定型ということ。すなわち、俳句は五七五音節の、あるいは十七音の言葉であるということ。これは言葉の質感に、したがって、俳句のもつ詩としての一面に関わっている。なぜなら、この定型は言葉を物と見なすことを前提としている。俳句の定型は、言葉は数えることができるものであるという認識に基づいてしか成立しない。数えることができるということは、それらが個物と見なされているということだ。そして、質感は物にしかなく、物には必ず質感がある。
重要なのは、これらがひとつの形式をなす対等な要素と見なされているということだ。このことは二つの示唆を与えてくれる。
第一に、一般に、有季と定型はともに形式の問題として取り扱われるのであって、それぞれが内容と形式の問題として個別に取り扱われるのではないということである。すなわち、単に季節が俳句の内容であるのではなく、一定の仕方でコード化された言葉を含むということが俳句の形式であるということだ。
第二に、有季であることと定型であることのどちらもが、俳句にとってはさしあたり必要であるということだ。すなわち、それらの重要性はさしあたり同じである。
もちろん、僕らはすぐに逸脱を知ったはずだ。 あるいは、そもそも、しばしば逸脱しながら「有季定型」を獲得したのだった。逸脱を知った、というのは、俳句を読もうとする個々人としての認識としてだ。逸脱しながら「有季定型」を獲得したというのは、俳句というジャンルの成り立ちから見た認識、あるいは、有季定型のいわゆる「俳句」を書こうとする個々人の認識としてである。
では、この逸脱はどのようにして可能だったのだろうか。有季ということが散文に関わっていることに着目するとき、無季はどのようにして可能だといえるのか。定型ということが詩に関わっていることに着目するとき、非定型はどのようにして可能だといえるのか。
無季の俳句が、「主流」としての有季の俳句に対する「傍流」としての価値、すなわち、ただ俳句の多様性にとって有益であるという価値しか持っていないなどと考えることはできない。無季の句はただ季節を意味せずしたがって伝達しないというだけであって、多くの場合は、別の何かを意味している。何かというのは、それらの無季の句が個々に語る何かだ。無季の句は自らの無季性をその主旨としているのではない。そもそも、無季の句の表す意味は必ずしも季節の外にあるわけではない。たとえば、銃後にも季節がある。白泉の〈銃後といふ不思議な町を丘で見た〉は、ただそれを伝達しないというだけで、別のこと――たとえば、その町のありようが不思議であること――を伝達している。
非定型についても、無季と同様だ。破調や自由律が定型の俳句に対する単なるアンチテーゼとしての価値しか持たないなどとはとても考えられない。たとえば、住宅顕信の句は定型のもの(たとえば〈若さとはこんな淋しい春なのか〉)よりも非定型のもの(たとえば〈月が冷たい音落とした〉)のほうがより詩であるのが感じられる。顕信にあっては、この非定型によってはじめて言葉が何かを意味するという道具としての用途から半ば解放され、それ自体の質感を顕わにするに至ったのだ。このことに関して、顕信の句が定型に対するアンチテーゼであるかどうかは問題ではない。 それよりも重要なのは、顕信は定型によってかえって散文のほうへ傾く作家だったということだ。おそらく、顕信が言葉の質感を強く意識しその意味で詩を志向したとき、定型を捨てることが彼にとって必然だったのだろう。俳句において有季と定型のどちらがより抜き差しならないものに感じられるかは、人によって異なるようだ。おそらく、その違いはその人の資質やその人の求める俳句のあり方に起因している。
俳句が有季定型を逸脱するとき、そのほとんどは、別の積極的な仕方で言葉の意味や質感に関わっている。意味と質感のあいだでの震えが、別のかたちでなされているのである。あるいは完全に詩である句や完全に散文である句に至る道が逸脱によって一気に拓かれることもありうる。しかし、それによってジャンルがまるごと覆ってしまうということがないのは、そもそもジャンルの核としての有季定型ということが言葉の意味と質感とにまたがっているからに違いない。
4 件のコメント:
面白く読みました!
若之さんの論への僕なりの理解は、「季語や定型が俳句というものの枠組みを強く規定しているのに、それらを持たない一句がなぜ輪郭を持ち得るのか」という疑問に対し、俳句たる要件は「言葉の意味と質感に関わっている」ことであり、その最適なあり方は「いはその人の資質やその人の求める俳句のあり方に起因して」変わるからだ、というようなものです。
この「意味」と「質感」という言葉はその定義に対して注意深く用いられなければならないと思うけれど、これがきちんと文章化できたらさらに面白い論になると思いました。
僕の今持っている疑問は、「俳句はどこまで俳句か」というジャンルの強度に対するものです。若之さんの論に乗っかるならば、「有季定型だが俳句ではない言葉」というものが存在するのか、という疑問をすぐに提示できる。
また会ったときにでも議論しましょう。
生駒
あと、
"すなわち、単に季節が俳句の内容であるのではなく、一定の仕方でコード化された言葉を含むということが俳句の形式であるということだ。"
という文章に対しては、本当にそうかな、という疑問も持ちました。「一定の仕方でコード化された言葉」というのは夏石番矢さんがいうところの「キーワード」だったり、現代俳句協会系の歳時記に乗っているような「無季」に立てられた季語のことであってる?それがなくても俳句と呼べるものは多いと思う。
いつせいに柱の燃ゆる都かな 三橋敏雄
しんしんと肺碧きまで海の旅 篠原鳳作
なんかは比較的強い言葉を使わず鮮烈なイメージを作り出していると共に、いかにも俳句らしい良さを持っていると思う。
(無季季語って「遺書」とか「鉄塊」とか強い言葉を使ってあまり俳句らしくはない面白さを追求しているイメージがある。偏見?)
生駒さん、コメントありがとうございます。
>僕の今持っている疑問は、「俳句はどこまで俳句か」というジャンルの強度に対するものです。若之さんの論に乗っかるならば、「有季定型だが俳句ではない言葉」というものが存在するのか、という疑問をすぐに提示できる。
「俳句はどこまで俳句か」という問いは、二つの方向を向いている問いですね。すなわち、「有季定型」の中で俳句を問い直す(生駒さんが提示した)向きと、「有季定型」の外で俳句を問い直す向きと、そのどちらについても「俳句はどこまで俳句か」を問うことができます。興味深い問いです。ぜひまた会ってお話できたらと思います。
>「一定の仕方でコード化された言葉」というのは夏石番矢さんがいうところの「キーワード」だったり、現代俳句協会系の歳時記に乗っているような「無季」に立てられた季語のことであってる?
そういう意図ではありませんでした。ここで言う「一定の仕方でコード化された言葉」というのは、第一には季語のことです。ただし、季語が句のなかで違和感なく機能するためには、句を構成する季語以外の言葉も、コード化されている必要があるという点が重要です。この場合の「一定の仕方でコード化された言葉」というのは、生駒さんが提示されたものよりもずっと広く、意味するもの(シニフィアン)と意味されるもの(シニフィエ)との所与の対応関係に従って用いられた言葉ということです。
たとえば、「林檎」と書いた場合にあの果物の実のこと、あるいは少なくともあの植物の種類を意味しないのであれば、それは季語になりません。ですから、もしも飯田龍太の〈母が割るかすかながらも林檎の音〉の「林檎」が僕らが通常「林檎」と呼ぶあの林檎を意味せず、「林檎」という言葉それ自身のほかに何も意味しなかったとしたら、これは有季の句とは見なせないということになる。さて、ここでこの句の「林檎」があの林檎を意味しているという確信を得られるのは、この句のほかの言葉もまた、字義通りに読んだときに、整合性のある一つの景を読み解くことができるからです。つまり、「林檎」が季語として機能できるのは、「林檎」が林檎を意味しているからであり、「林檎」が林檎を意味しているということはその全体の意味に照らし合わせて初めて言えることです。この〈全体の意味〉なるものを仮定するには、句を構成する言葉のすべてが、それぞれの意味を表す記号である必要があります。「母」が母を意味し、「音」が音を意味していると信じられる限りで、「林檎」もまた林檎を意味していると信じられる。このように、龍太のこの句は意味の連なりからできているのであって、句を構成する言葉はすべて、日本語のコードに従っています。これが、「一定の仕方でコード化された言葉を含むということが俳句の形式である」ということの意味です。
そして、生駒さんが例示された二句は、この意味では、コード化された言葉から成るものです。鳳作の句については少々議論の余地があるかもしれませんが、敏雄の〈いつせいに柱の燃ゆる都かな〉には、むしろ、非常にはっきりした意味の連なりを読むことができます。
俳句は基本的には意味の連なりなのですが、一方ではそうした意味を免れるところがあって、そこが言葉の質感に関わるところです。龍太の句でいえば「かすかながらも」の乾いた感じなどがそれです。
では、コード化されていない言葉というものがあるのかといえば、これについては、阿部完市の俳句を想像していただければよいのではないかと思います。〈たとえば一位の木のいちいとは風に揺られる〉の「いちい」は、何かを意味していると言えるでしょうか。それは「一位」の読みを表わしているのでしょうか。だとしたら、それが「風に揺られる」という言葉はどう理解すればよいでしょうか。この句には、コード化されていない言葉が含まれていて、そのコード化されていない言葉は意味を持たず、質感しかないので、そこに僕らは詩そのものを見ることになるのだと思います。
さて、ここまでの議論だと有季でなければ句において言葉が何かしらの意味を伝えるものである必要はないことになりそうですが、ジャンルの歴史が関わるので、実際にはそう自由でもありません。基本は有季のジャンルであった俳句は、無季においても、言葉に最小限の意味を要求する傾向があります。この傾向を何らかのかたちで上手く逃れて詩にたどり着いたのが完市であり、重信であり、赤黄男だったというのが、僕のさしあたりの考えです。
面白い議論ですね。季語といえば、小澤さんのつぶやきにも興味深いものがありました。
多くの俳句作者が季語だと思って作句していることと、小澤さんが季語だと認めていないことと、どちらが季語にとって大事なのだろう、と思ってしまいました。
>某新聞選句。「春うらら」なることばが今日もまた多い。ぼくは季語として認めていないこのことばが、氾濫しているのはどうしてだろう。うっとうしくなってくる。勘弁してほしい。https://twitter.com/seisyokyo99/status/595019416070266880
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