2018年9月11日火曜日

〔ためしがき〕 たとえば、彼女は黄色が好きだが、自分でそれを着ようとは思わない。 福田若之

〔ためしがき〕
たとえば、彼女は黄色が好きだが、自分でそれを着ようとは思わない。

福田若之


たとえば、これまで仮に僕と呼び、また、書き慣わしてきたそれを、ためしに彼女と呼び、書いたとき、何が起こるのだろう。たとえば、彼女は黄色が好きだが、自分でそれを着ようとは思わない、といったふうに。

彼女は、一方では、これがたんなる文法上の置き換えの試みとして理解されることを望んでいるけれど、他方では、それがたんなる文法上の置き換えの試みでは済まないことを予感してもいる。

彼女が彼女自身のことを彼女と呼ぶことは、彼女にとって、彼女以外の誰かが彼女のことをそう呼ぶこととはまるで違っている。けれど、彼女自身には、いまのところ、その理由がうまく説明できない。それは、彼女が彼女自身のことを彼女と呼ぼうと試みるうえで最初に思い浮かんだのが、彼女は黄色が好きだが、自分でそれを着ようとは思わない、ということだったことの理由を、うまく説明できないのと同じことだ。

たしかに、彼女は、いまや、彼女自身について、たとえば、彼女はゴーヤを口にしない、とか、彼女は考えごとをするときに両手で顔を覆うことがある、とか、彼女はきのう飛行機で松山から東京に帰ってきた、とか、彼女はその機内で飲み物を勧められ、キウイジュースを頼んだ、とか、じつは彼女は黄色の服を着ていたことがあるし、いまでもそれを何着か持っている、とか、それにもかかわらず、彼女はもう長らくそれらの服を着ていなかったし、それらを持っていることさえ失念していたのだ、とか、書くことができる。けれど、そうしたことのすべては、彼女は黄色が好きだが、自分でそれを着ようとは思わない、ということのあとにしか書くことができなかったように思う。それだから、彼女はそこになんらかの必然を感じずにはいられない。なぜ黄色なのか、なぜ服のことなのか。ただし、精神分析的な回答を与えられたとしても、彼女はおそらくそれに満足しないだろう。たぶんこのあと、彼女は両手で顔を覆う。

2018/8/22

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