浅沼璞
死にやろとは思はず花や惜むらん 西鶴(前句)
子共三人少年の春 同(付句)
『俳諧独吟一日千句』第二(延宝三年・1675)
もともと西鶴は裕福な商家の出と思われるが、商売の傍ら、俳諧師として人の作品を採点する点者(てんじゃ)をつとめていた。
それが34歳のとき、幼馴染みだった妻を亡くし(享年25)、その追善のために髪の毛を落として在俗の出家となった。
とはいえ盲目の娘をはじめ幼い子供が三人もいたから、仏道修行に入ったわけではなく、家督を手代に譲って隠居となり、愛妻への追慕と残された子供への慈しみを原動力に、法体の俳諧師として旺盛な創作活動をはじめた。
その手始めが掲出の愛妻追悼の独吟連句で、一日で千句も詠んだ。
それをかわきりに、一昼夜で千六百句、四千句、二万三千五百句と記録を塗りかえていったのは周知のとおりである。
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さて掲句は前句が花の座、付句が挙句(揚句)。
「少年」は男子の意ではなく、子供(子共)が幼少であることをさす。
〈まさか妻が早死にするとは思わなかったが、妻とて花を惜しんでいるだろう。幼い子供たち三人にすれば母を惜しむ春になってしまった〉。
追悼にふさわしい付合だが、連歌における挙句の本意を考えると、悲しみの奥に救いの「春」が詠みこまれているような気がしてくる。
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『俳文学大辞典』(角川書店)にあるように、挙句は〈一巻の成就を慶び、天下泰平を寿ぐ祝言の心を込めて、一座の興がさめないよう、速やかにあっさりと巻き納めるのを本意とする〉(東聖子氏)。
他の西鶴独吟の挙句も、その本意を大切にしている。
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