2019年3月23日土曜日

●土曜日の読書〔母語の外で俳句を書くこと〕小津夜景




小津夜景







母語の外で俳句を書くこと


人と話す機会があるたびに、「フランスで暮らすことが俳句にどういった影響を与えていますか」と質問される。

話が「フランス」という限定ならば何も思いつかない。私はこの国に興味を持ったことがないのだ。

けれども「知らない言葉の中で」という文脈ならば、どうだろう。

たとえば日本にいると、外部との言語的関係を断って自分の考えに没頭しようとしても、ふとした瞬間に、周囲の文字や音声が体の中に流れ込むのは避けがたい。ところが現在の生活は、意識のチューニングをゆるめさえすれば、すべての言葉が落書きと雑音として脳で処理されるため、自分の声だけを純粋に聴きつづけることが可能だーーこれは度がすぎると足元に穴があくけれど。

あと、そもそも私はフランス語ができない。そのため意識のチューニングを文字や音声に合わせたところで、その意味がはっきりとはわからない。とはいえ長く暮らしていれば、さすがにほんの少しはわかってしまう。この「ほんの少しわかる」というのが悲喜劇で、私はかれこれ20年近くも、いままさに言葉の意味が立ち現れんとする生成まっただ中の海をゆらゆらと漂っている状態なのだった。

もうひとつ、フランス語がわからないのに加えて、日本語もどんどん忘れてゆくといった事態がある。自分の母語が脈絡のない落書きじみた、カタコトのうわごとに変質してゆくのである。ここ数年は俳句と出会ったおかげで、こうやって文章を書くたびに、ほっとするというか、正気を保つ薬になるのだけれど、実のところ健忘症状は重く、なにかの病気の兆候かもしれないと日々恐ろしい。

エクソフォニー(母語の外に出た状態一般)下における実存や言葉とのかかわりについてさまざまな文章を収めた多和田葉子カタコトのうわごと』(青土社)にこんな一節があった。
日本語をまったくしゃべらないうちに、半年が過ぎてしまった。日本語がわたしの生活から離れていってしまった感じだ。手に触れる物にも、自分の気分にも、ぴったりする日本語が見つからないのだった。外国語であるドイツ語は、ぴったりしなくて当然だろうが、母国語が離れていってしまうのは、なんだか霧の中で文字が見えなくなっていくようで恐ろしかった。わたしは、言葉無しで、ものを感じ、考え、決心するようになってきた。
この「わたしは、言葉無しで、ものを感じ、考え、決心するようになってきた」という下りを読むと、ああ、自分もそうだと少し安心する。いや、多和田はずいぶんと変わった人だから油断はならないか。

そう、俳句への影響である。フランス語も日本語もおぼつかない暮らしの中で、私が気づいたのは、思考とは純化された言語のみに拠る働きではありえず、脈略の糸のこんがらがった落書きの層をたっぷりと含みつつその風景をかたちづくっているということだった。おそらく「考える」とは、気の遠くなるほど大きな「考えに至らない」潮のあわいを漂流し、傷を負い、おのれを見失った果てに未知の岸に打ち上げられるような冒険である。こうした発見は自分をすっかり変えてしまった。いまでは言語において、形式は反形式から分離できず、また反形式の痕跡をとどめない形式はないと思っている。

必死になって言葉に手を伸ばそうとする〈思考〉。いままさに生まれんとしてうごめく〈意味〉。反形式の海をくぐり抜けた痕跡をとどめる〈形式〉。こういったものをつくる道具として、俳句はなかなか悪くない。


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