2019年3月25日月曜日

●月曜日の一句〔茨木和生〕相子智恵



相子智恵






野に遊ばむ命生き切りたる妻と  茨木和生

句集『潤』(邑書林 2018.10)所収

以前、万葉学者の先生から、やまとことばの「い」には「生く」や「息」のように生きる力や「忌む」などの厳かな意味があり、「ち」は「血」「乳」「大蛇(おろち)」など不思議な霊力を表していて、「い」の「ち」である「命(いのち)」とは、個人に属して個人と共に終わるのではなく、それとは別にあって個々の生命を生かす不思議な力だ、という話を聞いたことがある(うろ覚えだが……)。

〈命生き切りたる〉を読んだ時、だから私はそこに壮絶な感じではなく、むしろ「い」の音の連なりに豊かなものを感じた。それは「生き切った」と言う時の、悔いのない充実したイメージからも、呼び出されてくる。

それが「野遊び」という季語のもつ再生のイメージと重なったことで、掲句は妻を亡くした悲しみの重さは十分にありつつも、どこかすーっと瑞々しい。

〈野に遊ばむ〉と言われた妻は、暖かくなった春の日差しの中で、身軽な魂となって「そうだね」と嬉しく答えただろうな、と思われてくるのだ。

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