2019年4月27日土曜日

●土曜日の読書〔お金の大切さについて〕小津夜景




小津夜景







お金の大切さについて

漢詩人とは多かれ少なかれ隠棲にあこがれ、また実際に隠者になってしまう人々である。

けれども隠者なんかになって、一体どうやってごはんを食べていたのだろう。

この手のことを調べる人というのはちゃんといて、昔どこかで陶淵明の収入源を整理し、ざっと概算した論文を読んだことがある。どこだったかなあ。まったくもってパンドラの箱を開けちゃうたぐいの研究だが、結論だけ書くと、田園詩人の宗としてみんなのアイドルである陶淵明は、たとえどんなに貧しく見えようとも、世間で言うところの貧乏ではなかったようだ。

思えば、士族の家に生まれ、高い教養も備えた五柳先生。あいにく気に添う仕事には恵まれなかったものの、県令(県知事)を辞し隠者デビューをしてからは地元の名士達からの庇護の申し入れ(隠者のパトロンであることは権力者にとってひとつのステータスになる)をのらりくらりとかわし、あそこにすごい先生がいるとの期待を煽って、「潯陽の三隠」と称されるまでになる。彼の交際していた面子を見るにつけ、あ、これは付け届けもすごかっただろうなとか、たとえ奢ってもらうにしても彼らと交わる暮らし向きではあったのだ、などといったことは素人でも想像できるところ(ちなみに岩波文庫『陶淵明全集』の解説によると、県令から隠棲へという下野方式は、エキセントリックであるどころかむしろ当時の慣例だったらしい)。

ところで隠者稼業にも乗り出さず、給料取り(役人)でもなく、財産もない詩人たちはどうやってごはんを食べていたのか。これも気になる話だ。それで詩を読むときに経歴も調べるようにしてみたら、みっつのパターンが見えてきた。

【典型① パトロン】古今東西説明不要な収入源。隠者に限らず、そもそも知識人というのは権力との相互依存・協力関係が深い職業と言える。
【典型② 売文】頼まれて詩や書をつくり、その報酬で生計を立てるといった、画人の詩文ヴァージョン。
【典型③ 食客】他人の家に住まわせてもらう代わりに、その家の子弟、あるいは地域に学問を授ける居候。

ざっとこんな感じ。専門書にあたればもっと正確なことがわかるだろう。と、ここへ来て読書の話を忘れていたことに気がついた。吉川幸次郎漱石詩注』(岩波文庫)にこんな詩がある(現代語部分は私訳)。

帰途口号 其一  夏目漱石

得間廿日去塵寰
嚢裡無銭自識還
自称仙人多俗累
黄金用尽出青山

帰り道に口ずさむ その一  夏目漱石

暇ができて二十日ほど
人間界とおさらばした。
財布が空になったので
帰り時だと気がついた。
仙人を称する身にも
人づきあいは多いのだ。
有り金も尽きたところで
山を下りることにしよう。

明治23年9月、23歳の漱石が箱根を旅行したときの作。軽妙で、若々しい。そしてこの詩からわかるのは、やはりお金がないと隠者にはなれないということ。漱石の隠者稼業はわずか20日で終わった。


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