2019年4月8日月曜日

●月曜日の一句〔うにがわえりも〕相子智恵



相子智恵






辞令書をさくらっぽいきもちでもらう  うにがわえりも

「さくらっぽいきもち」(東北若手俳人集「むじな 2018」第2号 2018.11)所収

「さくらっぽいきもち」ってどんな気持ちだろう……と言語化を試みるうちに、桜ほど、日本人にとって個人的な思いと近くにありながら、共通の幻想を抱かせやすい花はないな、と思う。皆が毎年のパターンとして、開花をそわそわしながら待ち、急き立てられるようにお花見を楽しみ、散ることを惜しむ。「皆が何かを思わずにはいられず、何かをせずにはいられない花」というのは、そういえば桜以外にない。すごい動員力だ。

俳句で言えば、「花(桜)」はすべての季語の頂点に立つ季語の一つであり、私たちは眼前に自分だけの一回限りの桜を確かに見ながら、同時に本意という物語の、共通の幻想の大きな桜を自ずと見ている。それは、どの季語も同じことではあるのだけれど(というよりそれが季語の本質なのだけれど)、桜は本意の物語がとても大きく、かつ日本人に深く浸透している。

掲句は「桜を見る時の自分の気持ち」ではなく「さくらっぽいきもち」であり、個人の側ではなく、桜の幻想の側に立ち、桜と一体化してみせた。辞令書をもらう期待と不安という個人的な思いが、桜への日本人の幻想をすべて飲み込んだ「さくらっぽいきもち」として提示される。「ああ、そういう気持ちだよね……桜だしね……」と誰もが何となくわかることを、裏側から見せた面白い句であり、共通の幻想をペラペラな可愛らしさで暴いて見せた怖い句かもしれない。

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